2012年5月8日火曜日

体の声を聞いてみる(12.05.08)

 「人間の覚悟」という本の中で、五木寛之が興味深いことを語っています。病院嫌いを公言し、持病の偏頭痛は、体の声に従うことで回避できるようになったといい、「痛みや炎症は冷やすか、温めるか、どちらか迷うときは、じっくり自分の体の声を聞いてみる。歩いていて苦しいならやめる、安静にしていて物足りなければ歩いてみるという具合に、体の声に従う。これらは自力でしているようでも。知識や自分の意志だけではどうにもならない働きがあるということでは、私にとって一つの他力である。」と、自身の他力思想の一端を紹介しています。


「体の声を聞いてみる」というのは、理屈や専門情報に振り回されることなく、体が何をしたがっているのか、体の訴えに耳を貸し、それに従うということです。それが病気治癒、健康づくりへつながるという考えです。
 体というのは本来、心地よさを求めるものです。ですから、体が求めている感覚に従うとは、「心地よさを求める行為」と言いかえることができるかもしれません。
 これは操体法の提唱者である故橋本敬三医師の「心地よいことは、健康づくりに有利」という考えにも重なります。逆読みすれば「不快なこと(運動)は健康づくりには不利」となります。

 「この○○という運動は良いものなのでしょうか?」という質問を受けることがあります。Aさんにとっては良い運動でも、Bさんにとっては良くない場合もあります。また、やり方によって、良かったり、悪かったりということもあるので、一概に、良い・悪いと答えることができません。
 その運動をしてみて違和感のあるときは黄色信号、痛みを感じるなど違和感の強いときは、赤信号と考えます。赤信号で突っ込めば当然、事故につながります。黄色信号も、それが体に不利に働くことを知らせています。赤も黄色も、体がその運動や動作を行うことを拒否しているのです。
 視覚情報や理屈に支配され過ぎると、そんな体の小さな声が聞こえにくくなるのかもしれません。