けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。 「命とは時間のことである」というこのメッセージは重い。暇つぶし=時間つぶし=命つぶし、と考えると 命である時間の概念を見直さざるを得ない。
2020年12月31日木曜日
命の時間
けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。 「命とは時間のことである」というこのメッセージは重い。暇つぶし=時間つぶし=命つぶし、と考えると 命である時間の概念を見直さざるを得ない。
2020年12月12日土曜日
カラダの言い分
健康情報の氾濫は今に始まったことではない。書籍、新聞、TV、ラジオ、雑誌、インターネット、口コミ等々から一喜一憂する人は多いのだろう。また、健康づくりを目的とした運動に関する情報も世に溢れている。
ところで名医と称する医師が登場するT
2020年12月1日火曜日
下駄とタビと府中(ゲタ・ウォーク)
1年前に府中に越してきた。
2020年11月16日月曜日
ハイブリッド・アクアトレーナー
筋肉は関節を跨いで骨と骨をつないでおり、筋収縮により関節を支点に骨が動く。これが動作である。通常、左右動作、前後動作など日常動作には偏りがあるのが普通であり、体はその偏った使用状況に適応する。よく使う筋肉は強くなり、あまり使わない筋肉は弱化する。大なり小なり、「強い、弱い、硬い、柔らかい」といった筋肉が混在するが、その偏りに応じて、筋骨格系のアンバランスが形成される。
国民病である「腰痛、ひざ痛、肩こり」の多くにこの筋肉と骨格のアンバランスが影響している可能性が考えられる。中村好男早大教授がエッセイの中で「生活習慣・病」という言葉を用いている。習慣の後ろに「・」をつけたのだ。この「・」により見慣れた「生活習慣病」という文言への印象が大きく違ってくる。「生活習慣」と「病」がそれぞれクローズアップされ、目にした人に強く訴えかけてくるように感じる。
「生活習慣・病」の代表はガン、心臓疾患、脳血管障害であり、日本においては全死因の60%が、この病で亡くなっている。比較するのは気が引けるがコロナ死の1600人に対して生活習慣病死は年間約70万人(平成26年実績)である。
ある人は生活習慣病を「緩慢なる自殺行為」と称した。自殺という表現は言いすぎかもしれないが。無知であるが故の病であり、意識や知識、習慣を変えることで予防できるなら、水泳コーチなど運動インストラクターもライフスタイルアドバイザーとして仕事に向き合う側面を持つことにも意義があるだろう。
さらに整形外科的疾患の多くも日常生活習慣動作が影響している可能性がある。長年の動作習慣で筋骨格系にヒズミが生じることで、慢性的な痛みへと繋がることも考えられる。このような運動器のトラブルも「生活習慣・病」とらえることができるのではないだろうか。
このような「生活習慣・病」に対しては水中運動、水中アプローチの大いなる可能性を感じる。当然のこととして陸上で機能する体をつくるために陸上での専門的なアプローチも欠かせない。 水中と陸上という異なる環境のメリットを生かし(水陸で対応できる、あるいは水中と陸上を組み合わせた)指導技術を持つコーチ・インストラクター(ハイブリッド・アクアトレーナー)がフィットネスの世界で活躍する日が来ないものだろうか。
2020年9月23日水曜日
ミドルエイジからの健康塾2006 あとがき(抜粋)
日本人の平均寿命が、世界一を更新している一方で、介護を必要とする高齢者の数が激増している。介護が必要となる理由は、いわゆる生活習慣病というよりも加齢に伴い活動量の低下した生活にカラダが適応することで虚弱化してしまうこと、言い換えれば生活不活発化による老化の進行であるとの認識の下、虚弱化したカラダ(筋肉)を鍛えることで、立つ、座る、歩くといった日常生活動作に不自由のない体作りを目指そうというが最近の高齢者の健康づくりのの基本的な考え方になってい動作性に優れたカラダづくりは高齢者ばかりではなく、全ての人に求められるものであり、カラダづくりの基本と言えます。アスリートにとってもパフォーマンスするためには重要な要素である。
関節をまたいで筋肉が骨についており、筋肉を縮めることで動作が起こる。しっかりと動作を行うためには、適度な筋肉の強さを保持することが重要である。このことは、当然、筋肉を鍛えるという発想になる。しかし、私は、動作に影響を及ぼす筋肉のバランスを整えることが、より重要と考えている。
ヒトには右利き左利きが有り、よく使う筋肉は筋肉や強くなり、使わない筋肉は弱くなる。当然の結果として、強い弱い筋肉が体に混在することになり、右半身と左半身、カラダの前面と後面など互いに影響し合っている筋肉のアンバランスが生じ。動作にも影響を及ぼすことになる。誰もが大なり小なりこのようなアンバランスを抱えているのだ。
硬くなった筋肉が伸ばされる時にはブレーキがかかるために、違和感や動きづらさを感じる。場合によっては痛みを伴うことがあるかもしれない。動作を伴う違和感が有る時などには難しい理屈は考えないで、心地よさを感じながら動くことである。
きっとカラダは良い方向へ変化してくれるに違いない。カラダは快を求めているのだから。
2020年8月28日金曜日
イノベーション(Swim Partner掲載記事)
その時、観衆は妙なものを
目の当たりにしました。
何と一人の選手が、
両手を地面についたのです。
これは、ある日の新聞広告。
左から二番目の選手だけが、クラウチングスタートの構えをとり、
観衆は、その不思議な格好を奇異の目で眺めている。
舞台は1896年(明治29年)、第一回アテネオリンピック、
両手をついているのは優勝したトーマス・バーク(米国)。
1968年メキシコ五輪 男子走り高跳び。優勝したのは、
開発途中は嘲笑を受けながら、人類が目にしたことのない「
バタフライが平泳キックだった時代に、ドルフィンキックを考案。
世界記録をつくった競泳の長沢二郎(早大)。
常識を覆す発想で、新しい価値を創り出す。
イノベーター達が開発した技術はいずれも、
2020年6月17日水曜日
やっきょう
2020年6月16日火曜日
yメソッド セミナー
2020年5月17日日曜日
原理の狭間で 4
初めての遠征試合は東北室内選手権。会場は秋田AC。この会場クラブにすごい選手がいた。当時小学5年生だった長崎宏子さんだ。ずば抜けた泳力は正に怪物。目の前で見た泳ぎには、度肝を抜かれた。彼女はそのままの勢いで日本選手権で優勝し、小学生で幻のモスクワ五輪代表となった。
さて、コーチ陣は新卒の現地採用者組を中心に東京採用組が加わった、当初、東京組と現地組とのささやかな対立もあったが、まもなく解消した。新米所長だったが、営業所としての、まとまりは良かった。当時、営業所は関東に固まっており、遠隔地は京都と仙台のみ。
このことも、スタッフのまとまりに繋がったかも知れない。営業所にはギターをおいてあり、深夜まで皆で歌うこともしばしば。私を含め全員が20代の職場、エネルギーが溢れていた。一度だけ熱を出し病欠したが、数名のスタッフが料理を作りに来てくれたことがあった。また、コーチたちが部屋に遊びに来て、部屋から出たと思ったら玄関で靴墨を顔に塗り、黒人顔で戻り驚いたことも。歌うはシャネルズのランナウェイ。
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新卒1年目のkさんと(のちにTさん) |
1年目は暖冬だったが2年目は違った。自身の部屋に、暖房はストーブもエアコンもなくコタツのみ。寝るときは寒さで顔が痛いので、目出し帽をかぶって寝ていた。
そして、忘れもしない12月23日。「明日はホワイトクリスマスになればいいなー」などと呑気なことを言っていたら、本当にそうなった。「ヤッター」と思ったのは一瞬。希に見る豪雪となり、悲劇が始まった。電線が雪の重みで断線。鉄塔が倒れるなどの雪害が起こった。営業所では雪解け水が半地下だった機械室に流れ込み、ボイラー類が水没した。停電が続き、水を組み上げるポンプが作動しないためだ。バケツリレーで汲み出しを試みたが焼け石に水。あっという間に機械室はプールと化した。
暖房が効かない、昇音できない、シャワーが出ない。クラブは運営できず、休業を強いられた。勿論、年内は営業できす、年明けしてもしばらくは開業できなかった。心身ともに疲労困憊。冬が越せるのかとも思った。
そんなタイミングで、本社から1本の電話が入った。
「大宮に2ヶ月出張!」の命令。
営業所や選手が気がかりだったが、命令は絶対。自宅の東伏見に戻り大宮通いが始まった。そこは大型体育館も有する総合スポーツクラブ、経営者とコーチ陣の対立で、経営危機に陥りSOS。立て直しの契約を交わした本社が、私を送り込んだという経緯。
単身で乗り込み、コーチ室に通った。コーチたちからは白い目で見られたが、対立することは避け、柔和に接した。これまで身につけた運営ノウハウを粛々と実行。監視(安全管理)の重要性を伝えるため監視台に6時間乗り続けたこともあった。頭がクラクラしたが本気度を見せること。指導力を観察し問題点をチェックすることが狙いだった。そんな姿勢が奏功したのか、コーチたちとも徐々に仲良くなっていき、言うことを聞いてくれるようになった。
ヘッドコーチIさんの専門は体操で、体育館で鉄棒の指導している時に、飛び入りさせてもらった。鉄棒に触るのは10年ぶりだが、筋力は当時よりも強くなっていて体は軽かった。逆手振り出しから逆車輪を披露したときは驚かれたが、彼との距離がグーンと縮まったことは幸いだった。
夜の帰宅では社長のベンツで送ってもらい報連相。労使関係の緊張もピークアウトし
何とか無事に任務を終えた。仙台へ戻ろうと準備をしていたところ、そのまま相模原営業所に転勤せよと命令が出た。
その年の4月から、所長として2店目の地へ行くことなる。実は入社後、初めての赴任が新店舗だった相模原。その時の所長がOさんで、52年11月にオープンし翌年の春には10歳以下女子200m自由形でJOチャンピオンを輩出するなど指導力に定評があった。(当時は10歳以下で200m自由形種目が残存していた)
Oさんは指導部長になっていて全営業所を統括していた。本来は本社常勤のところだが、相模原営業所を拠点にしており、選手クラスだけは相模原で指導していた。朝練が終わると愛車で全国を飛び回り、夜の練習に戻ってくるというパターンだった。その営業所の所長が私で、選手クラスでは、部長のOさんと担当することになった。
それは正に激務の2年間だった。
2020年4月29日水曜日
那須物語 ~なぜ那須で活動が始まったのか~
「ホテルにジムがないなんて、どういうことだ!」という新たなホテルオーナー(米国の金融機関)の一声で、経営幹部が動いたのだ。
すぐに栃木県の北端 那須町にあるホテルを訪問。ジム設置場所に案内され、卓球ルームだったスペースにマシンを設置したい意向を聞かされた。内心「この小さなスペースにジムをつくって利用者にどんなメリットがあるのだろうか?」と瞬時に頭をよぎった。
ホテルの最上階にあるフレンチレストランで、S支配人とYシニアマネジャーとコース料理を味わいながら話した。
「日本ではホテル宿泊者がジムを利用するケースは少ない。他のホテルにはない新たなサービスを提供してはどうですか?」
「どういうことでしょうか?」
「カラダに関するすべての相談に対応する仕組みをつくるというのはどうでしょう」
「例えば?」
「例えば、ゴルフの飛距離を伸ばしたい、健康的に痩せるコツを知りたい、腰・ひざ・肩
の慢性痛を何とかしたい、立つ、座る、歩く、走る、体を曲げる・伸ばす・ひねる・持つ
などの日常動作のコツを知りたい、スポーツパフォーマンスを上げたいなどの要望に全て応える仕組み。あえて言えばカラダ再生をリゾートホテルでやるのです」
などの話をしながら肩こりを30秒で解消する技など、的確な刺激でヒトの体は大きく反応することを体験を交えながら説明をした。特にいくつかのアプローチを体験されたお二人の驚きの表情が今も記憶に新しい。
このような経緯で2009年2月より、2週間に1回、日・月で一泊しプログラムを提供することになった。名づけて「ボディバランスインプルーブメント」
当時のニュースリーリースがこれ。
https://www.dreamnews.jp/press/0000005002/
当初は、「体のバランスを整える」をメインテーマに行ったが、徐々に間口を広げて、
運動禁忌がない限り、あらゆる要望に対応スタイルに変えていった。
これが那須での活動の始まりである。
2020年4月27日月曜日
waseda wellness institute inc.設立
設立について中村先生(早大スポーツ科学学術院 教授)に、相談の電話を入れたところ、「新会社をつくろうと思うんですが・・」「いいですね!」恒例のやりとりパターンで設立があっという間に決定。さらに取締役就任も快諾をいただいた。
(定款から主な内容を抜粋)
・スポーツクラブの経営コンサルタント
・健康体力づくりメソッド・システムの開発、販売
・スポーツクラブ等の専門スタッフ教育
・健康体力づくり関連書籍、DVDの制作・販売
・健康寿命延伸プラン研究・販売
・健康寿命延伸事業の展開及び行政サポート
・健康運動指導者・トレーナーの教育
・トップアスリートのパフォーマンス向上メソッド開発・販売
・健康体力づくりに関する講演・演者の派遣etc
ところで、設立の経緯を簡単に記しておこう。
早稲田大学エルダリーヘルス研究所の活動実践組織として、2015年からwasedaウェルネスネットワーク(WWN)の活動が始まった。因みにWWNのコンセプトには、
この研究会は早稲田大学大学院健康スポーツマネジメントコースに係る教員及び研究者、ならびにそれらの関係者等により開発した多様な健康メソッドを「実践」「普及」を通して幸福な生活の実現に資することを目的としています。
(WWNホームページより」
と紹介があり、同研究会会長の中村好男教授の挨拶文には
「私たちは、「動ける身体が未来を支える」と考えています。
強くなくても良いのです。痛みがあっても「いつまでも動ける身体」であることは可能です。Wasedaウェルネスネットワークは、“健康づくり”を通じて皆様の幸せなシニアライフの実現を目指します。」とある。