般若心経のなかに「眼耳鼻舌身意もなく、色聲香味觸法もなく」という下りがある。
和訳すると、
「実体はないという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もない。 目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった
感覚の対象も様々な心の思いもない」となる。 無の境地・執着しない心(解脱)を示しているのだが、言葉として理解は出来ても、実感を併せ持つことは容易ではない。
その昔、オーストラリア人と宗教の話をした時に、仏教は難しいと言われたことを思い出した。
確かにキリスト教と比べると難解に感じることは当然のようにも思える。
さて、仏教の境地とは離れるが、トレーナーとしては「感覚の世界」を大切にしている。
人は痛みや違和感には敏感でも、動きに伴う快感覚には疎いような気がする。
動作時の不快や快感覚を共有することで、みえてくることも多く重要と考えている。
五感を羅列すると
目=視覚 →美しいものや 美しい景色に触れることは 心地よい
耳=聴覚 →音楽や自然の中で聴こえる川のせせらぎや風の声も 心地よい
鼻=嗅覚 →良い香りにふれることは 心地よい
舌=味覚 →美味しい食事や飲み物は 心地よい
皮膚=触覚→滑らかなものや 好きな動物にふれることは 心地よい 愛情ある手に触れられることは(=手当)心地よい
心地よく五感を満足させることは、幸せであり心身を喜ばせる。