2024年10月11日金曜日

ルーの法則

 ①活動性肥大 ➁廃用性萎縮 ③過用性萎縮(障害) という生理学における古典的な基本法則がある。筋肉は使えば強くなり、使わなければ弱くなる。使い過ぎれば壊れる、というルーの3原則である。

 学生時代にトレーニングの原則として学び常識として修めたものである。特に3番目の「使い過ぎ」については、「運動はやり過ぎに注意すべし」という程度に捉えていた。 それから10年ほど経った頃に面白い経験をした。

上場企業の工場で勤務する方を対象に体力健康づくり相談員として業務にあたっていた時のことである。 20代の青年が右肩が痛くて眠れないと訴えてきた。

内心、「相談する相手が違う。医療機関に行くべき」と思ったが、取り敢えず、その場で話を聴いてみた。原因は全く思いつかない。特別なことは何もしていないと主張するのだが、原因があって結果(痛み)がある。気がついていない問題が潜んでいるかも知れないと考え、1日の生活パターン、特に工場での労働内容に注目して聴いた。

「あっ」それだ、説明を聴きながら思った。工場勤務のルーティンの中に、あるバルブを一方向に回す作業があるという。右に回したあと左に回すというのであれば、肩の外旋筋と内旋筋という表裏の筋肉(拮抗筋)をバランスよく使用することになるので、過緊張は避けやすいが、一方向のみの動作ばかりを毎日続けることは、一部位の使い過ぎにより、肩の故障の原因へと繋がる可能性があることを指摘した。そして毎日の当該ルーティンでは逆回しの動作をすることや 、使わない左手を使うことなどで、一部位への負担を軽減するようにアドバイス行った。 

この相談員業務は隔月だったので 、2ヶ月後にその工場を訪問した。昼休みに社内食堂で食事をしていると作業服姿で私の方へ走って来る人がいた。肩を痛めていたその青年だった。

「肩の痛みが完全に消えました」という嬉しい報告だった。

 現場でのやり取りの中で学んだ”日常動作に潜む使いすぎの事例”である。 動作時に一時的な大きな負荷をかければ、使い過ぎに直ぐ気づくことができるかもしれない。けれど日常の当たり前の低負荷作業であっても、毎日のように繰り返す継続的負荷が、「筋の過剰使用→過緊張・硬化→痛み」へとつながる可能性があるのだ。この視点は、その後、痛み(傷害)へとつながる様々な身体動作の発見へとつながっていくことになる。

2024年4月24日水曜日

杖と手すり2

 杖と共に助けられたのが 階段に敷設された「手すり 」である。右膝の傷害を負い、左手に杖を持った身としては、やはり左側の手すりを使いたい。痛みが強い時は、強く手すりを握った。そうすると重心の位置が変わり、アンバランスに導く力が働いている事が気になった。 

20年ほど前から、歩法・走法と同様に階段を、いかに効率的(楽に)昇るか、その方法論を研究し、今もアップデートを重ねている。 しかし半月板断裂の場合は、歩く技法では間に合わない。安静を求められる時は、当然エレベーターやエスカレーターに頼った。 


自力歩行が可能になると、ラクに行える昇降技法が奏功した。 

ところで、階段やステップの昇降時は 手すりを握らず、その名称通り軽く「すりながら」上り下りした。バランスを崩した時はすぐ握れるように「手の内」でソフトにさわるのがポイント。強く握ると重心が崩れてしまう。

様々な日常の動作にも言えることだが、それが習慣になると、左右半身や前後面の筋肉に強弱・硬軟の差(左右差・前後差)が大きくなると、骨格に歪みが生じたり、動作にアンバランスが生じる恐れもある。

 不安な時は無理をする必要がないが、固定物に軽く触れているだけで、身体は安定する。固定物がない場合は、片側の大腿部側面に軽く中指で触れながら歩くだけでも安定した歩行になる。階段昇降時も同様に動作が楽になる。

 10年前に2週間入院して 寝て過ごした後の歩行不安定期はこの歩法に助けられた。

 この負傷経験は、トレーナーとしての視点や考え方を深めることに繋がったことは、確かだろう。(勿論、受傷したくなかったが)

2024年4月23日火曜日

杖と手すり1

今年2月に右膝のMRIで半月板断裂と診断された。何かの衝撃で痛みが出たのではない。気がついたら痛みが増悪し、まともに歩けなくなった。 杖も暫く使った。私の場合は左手(健側)で杖を持つ方法が最も痛みが軽減することもわかった。杖を使う人が思っていた以上に多いという事実にも気づいた。自らの身体状況が変わると 世の中を見る目線まで変化する。杖は痛みがある時は大変重宝であるが、使い方(多用するなど)次第で、左右の筋骨格系にアンバランスが生じて 別の運動器障害を誘発するリスクも予想される。


 訳があり、最悪の時期に 杖を着きながら遠出をした。おまけに道に迷いかなり歩いてしまった。帰路の最終段階で自宅最寄り駅からの歩行は困難を極めた。たかだか300m強の道のりは痛みとの戦い。 杖を握る手に、ありったけの力を込めながら4分の道を15分以上かけて帰宅した。 驚いたことに、一夜明け目覚めると杖を握った左中指がバネ指になっていた。 無症状の指が一夜にして変わってしまったのだ 。力はある方だが それも災いし、さらに加齢も手伝って左手中指の関節が悲鳴を上げたのだろう。 

治療についてドクターから説明を聞いた。右膝の関節左右に穴をあけ、半月板を取り出す手術療法があるが、保存療法(運動療法)を選択した。浴槽でリハトレをするなどで、 今は、下り階段は少々辛いが、平たんな道であれば普通に?歩くことができる。ドクターによれば治るのに半年は かかるらしい。つまり7月には回復するということだ。 


 ところで 2015年に「カラダ再生 動ける体のつくり方 ~なぜ階段は後ろ向きに下りると楽なのか?~」という著書を出した。 早大で授業中に学生から 「祖母は後ろ向きに降りてます」やアスリート学生から「合宿で追い込んだ最終日は、階段を前から降りられず、後ろ向きで降りた」などの声も聞いた。また、街の中で後ろ向きに階段を降りる高齢者と遭遇した事もある。
しかし、まさか自分が実生活で、必要に迫られ、後ろ向きに降りるようになるなど想像もしなかった。と同時に この技法を知っていて助かったことも事実である。 

 さて何故、断裂したのか? 

 長年の高強度トレーニングやスポーツで、かなり負担をかけ続けたことで半月板が損耗していた?そして、体調不良をきっかけに6年間の運動休止。その後、軽い「家トレ」1年継続。そして、2023年12月ジムへ入会し、7年ぶりにトレーニングを再開した。

 軽いトレーニングのつもりでも廃用性適応を経た身体(関節)には過剰負荷だった可能性もあり、半月板断裂への道は進行していたと振り返っている。 昔のように動ける感覚(実際、近い動作はできる)と、相応に変化したフィジカルとのギャップには 気づきにくいという知識はあっても、経験をしなければ、わからないことかもしれない。(続く)

2024年2月3日土曜日

カウントダウンの人生観

人はある年齢をを超えると、ゴールから逆算して人生を考えるようになるらしい。最近は、特にその言葉が実感をもって心に響いてくる。

 ふと父母は何を遺したのだろうと考える。生き様?言葉?子である私? しかし、何を思い、どんなことを考えていたのだろうかについては謎である。 

遺された者が一番知りたいのは、その謎の部分である。確かに想像することはできる。想像が広がることはロマンかもしれないし、想いの深まりへとつながるのかもしれない。 記憶をたどれは言葉にたどり着く。言葉の根底に潜む思いを想像することはできるのだが、、、、
    
母の本ほど売れなかったが、私も数冊の本を書いた。魂を込めた成果物としては大切なものだが、教科書のような本の中身は、正直いって味気ないものである。

そこには「根底に潜む想いや考え」が見つけられないからだ。 かろうじて、まえがきや、あとがきにはそのヒントが滲みでることもある。 そんなことを考えながら、家族には言葉(エッセイのような本)を遺したいと思うようになった。 

カウントダウンの人生観からの一歩だろうか。

2024年1月4日木曜日

しあわせの構図

10代の頃、武道を通じて「般若心経」に触れる機会があった。 その300文字足らずのお経にある「色即是空」というフレーズに、なぜか心を惹かれた。

 般若心経のなかに「眼耳鼻舌身意もなく、色聲香味觸法もなく」という下りがある。 

 和訳すると、 「実体はないという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もない。 

 目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった 感覚の対象も様々な心の思いもない」となる。 

 その昔、オーストラリア人と宗教の話をした時に、仏教は難しいと言われたことを思い出した。 確かにキリスト教と比べると少し難解に感じるかも知れない。

さて、スポーツ・ウェルネスに関わる仕事に携わっているが、
快で五感と体を整えていくアプローチが 重要と考えている。 

 以下に簡略化して羅列すると。 
  目=視覚 →美しいものや 景色に触れることは心地いい 
  耳=聴覚 →音楽、川のせせらぎ、風の声も心地よい 
  鼻=嗅覚 →良い香りにふれることは 心地いい 
  舌=味覚 →美味しい食事は 心地よい 
  皮膚=触覚(皮膚感覚) 滑らかなもの、や好きな動物にふれることは心地いい というようなことになる。 
 心地よいものと触れ合うことは 幸せであり。 五感をを満足させることは 健康な心身を喜ばせる。

 特に身体調整系の指導者は 「美しい姿勢や動き(目)」「爽やかな声や話術(耳)」心地よい香り(鼻)心地よい補助接触(皮膚) 美味しい味覚を共有した打ち合わせなど、 五感を快に誘導し・コントロールすることで、その先にある技術が活きてくるに違いない。 

 五感ウォーキング、 五感トレーニング、 五感ヨガ, 五感水泳、 五感アクア、 五感体操など、 快刺激でバランスを整えて、しなやかに、機能的に「動けるカラダづくり」を目指したい。 そのプロセスである五感の満足は、「幸せや、健康」に直結するのだから♪
(参照) 菩提薩婆訶 ぼじそわか 般若心経 はんにゃしんぎょう】 観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう 一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ 舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん 是故空中ぜこくうちゅう 無色むしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無限耳鼻舌身意むげんにびぜつしんい 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい 無無明亦むむみょうやく 無無明尽むむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさつた 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ 心無罣礙しんむけいげ 無罣礙故むけいげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 竟涅槃くうぎょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみった 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうしゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうどうし 能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみったしゅ 即説呪日そくせつしゅわつ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい  波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう

2023年11月27日月曜日

突然 女性の叫び声が

突然、女性の絶叫が聞こえた。比較的小さめの2階建てのビルで、しょう害者が制作した小物販売やレストラン、リサイクルショップなどが入っているビルがある。私は入口近くのショップで小物を見ていた。その時のことだ。女性の絶叫を聴いたのは。

TVや映画の中ではあるが、現実の世界でその声を聴いたのは初めてかも知れない。 廊下に出ると大柄な60歳前後の女性が、立ち姿勢のまま唸っている。「ぎっくり腰」とご本人の口から何度も漏れ聞こえた。

重そうな荷物を手に持って、急いで帰らなければならないと時間を気にされていたが、激痛で動けない。壁を左手で触ったまま、数センチ足を出すと悶絶の表情を浮かべた。救急車を呼ぶべきか・・などとつぶやいていたが、荷物を預かり楽な姿勢をとらせ、ゆっくり呼吸をするように促した。 

 右足で体重を支えられるが、左で体重を支えようとすると痛がる。右で体重を支え、楽な姿勢をとるようにすると、通常会話が可能になった。それで安心したのか、5m先の玄関の前に置いてある自転車に向かおうとするが、少し動くと激痛で顔が歪んだ。

話を聞いて頂ける状態になったので、自分がスポーツトレーナーであることを伝えると表情が少し和らいだ。
 
15kgはありそうな荷物の中身は書類だという。いつも右手で荷物を持つ癖が有り、この日も右手で、その重量物を持った瞬間に激痛が走ったという。腰に触れると左側の背筋が硬く盛り上がっているのがわかった。

右足で体重をかけながら少しずつ歩を進め玄関を出た。愛用の自転車が荷物運搬用の頑丈でとても重い。彼女に変わって帰る方向に自転車の向きを変えた。

体が最も楽と感じる姿勢をとることを何度か訴えていたのだが、見ると大きなビルの円柱形の柱にもたれ、まるで空気イスの姿勢(=膝と股関節を100度ほどに曲げた姿勢)をとっていた。それが楽だという。
これを見て自転車に乗って移動できることがイメージできた、案の定、自転車のサドルに乗ると「大丈夫だ」とつぶやき、何事もなかったようにスイスイと自宅へ向かった。

10分ほどの出来事だった。 PS.事後のコメント ・体が最も楽と感じる姿勢をとるように声変えると、壁に背を持たれて空気イスの姿勢をとった。それで、ひざ・股関節が緩み、腰が緩んだ。 

普段の体使いの癖が、大きく影響した可能性が考えられる。左右背筋の硬さや強さのアンバランスがあると、骨盤の左右・前後の傾斜が生じ、体全体のアンバランスが生じる可能性あある。 ひざ、腰、股関節、肩などの運動器の慢性痛の多くは、生活習慣動作が創り出していると言えるのではないか。

これを「習慣動作病」と呼んでいる(矢野史也名付け)。