ふと父母は何を遺したのだろうと考える。生き様?言葉?子である私?
しかし、何を思い、どんなことを考えていたのだろうかについては謎である。
遺された者が一番知りたいのは、その謎の部分である。確かに想像することはできる。想像が広がることはロマンかもしれないし、想いの深まりへとつながるのかもしれない。
記憶をたどれは言葉にたどり着く。言葉の根底に潜む思いを想像することはできるのだが、、、、
そこには「根底に潜む想いや考え」が見つけられないからだ。
かろうじて、まえがきや、あとがきにはそのヒントが滲みでることもある。
そんなことを考えながら、家族には言葉(エッセイのようなもの)を遺したいと思うようになった。
カウントダウンの人生観からの一歩だろうか。
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