2024年12月5日木曜日

足を前に出しても、カラダは前に進まない

 多くの人は足を前に運び歩いている。言い方を変えれば、足を前に出すことで歩行動作が行われると、信じている。しかし実際は,足を前に出す動作ではなく、足を後方へ送り出す動作が動力となり前方に進んでいる。

このことは水泳のクロール動作と似ている。クロールは前方に伸ばした手と腕を使い、後方へ押し出すことで多くの推進力を得ている、かき終わった手と腕は空中で前方に運ばれるが、このリカバリー動作で推進している訳ではない。ストロークとリカバリーを左右交互に繰り返すが、多くの推進力はストロークから生まれる。このストロークが歩行動作における、足の後方送り出し動作と考えるとわかりやすいかも知れない。

歩行動作は無意識で行われる習慣動作であるが、動力となっている後方送り出し動作を意識して歩くと歩行が驚く程楽になる。楽に速く歩くこともできる。

この歩法のポイントは、後方に送った足の離地の直前に踵(足裏後部)で地面を押す(踏む)ことである。実技講座の経験からもこの部分の加減が難しいと感じる人が多いようである。そして、この動作を習得すると、歩行時の姿勢改善につながるというのが最大のメリットかもしれない。

前かがみで歩いている人は、常につま先側に体重を乗せている。立位姿勢から少し体を前に傾けるだけでも、つま先側に体重が乗っていることに気づく。毎朝行っている洗顔姿勢や繰り返される中腰姿勢も同様につま先体重でふくらはぎを過剰に緊張させている。そしてつま先側に体重をかけた歩行。相関して生じる猫背姿勢は骨盤後傾からの、股関節(大腿骨)外旋→内反膝→変形性膝関節症へとつながる可能性さえ想起させる。

室内温水プールを使用する習慣をお持ちの方は、試していただきたい。プール内での前方歩行動作では水の抵抗が大きく歩きにくい。おそらくこの時つま先側で後ろに押していると思われるが、足裏後部(踵)で後ろに押せば、途端に楽に歩くことができる。この感覚は陸上歩行の後方送り出し動作に似ているので参考になるかもしれない。

毎日繰り返される歩行。楽に行えるなら、それに越したことはない。






2024年10月11日金曜日

ルーの法則

 ①活動性肥大 ➁廃用性萎縮 ③過用性萎縮(障害) という生理学における古典的な基本法則がある。筋肉は使えば強くなり、使わなければ弱くなる。使い過ぎれば壊れる、というルーの3原則である。

 学生時代にトレーニングの原則として学び常識として修めたものである。特に3番目の「使い過ぎ」については、「運動はやり過ぎに注意すべし」という程度に捉えていた。 それから10年ほど経った頃に面白い経験をした。

上場企業の工場で勤務する方を対象に体力健康づくり相談員として業務にあたっていた時のことである。 20代の青年が右肩が痛くて眠れないと訴えてきた。

内心、「相談する相手が違う。医療機関に行くべき」と思ったが、取り敢えず、その場で話を聴いてみた。原因は全く思いつかない。特別なことは何もしていないと主張するのだが、原因があって結果(痛み)がある。気がついていない問題が潜んでいるかも知れないと考え、1日の生活パターン、特に工場での労働内容に注目して聴いた。

「あっ」それだ、説明を聴きながら思った。工場勤務のルーティンの中に、あるバルブを一方向に回す作業があるという。右に回したあと左に回すというのであれば、肩の外旋筋と内旋筋という表裏の筋肉(拮抗筋)をバランスよく使用することになるので、過緊張は避けやすいが、一方向のみの動作ばかりを毎日続けることは、一部位の使い過ぎにより、肩の故障の原因へと繋がる可能性があることを指摘した。そして毎日の当該ルーティンでは逆回しの動作をすることや 、使わない左手を使うことなどで、一部位への負担を軽減するようにアドバイス行った。 

この相談員業務は隔月だったので 、2ヶ月後にその工場を訪問した。昼休みに社内食堂で食事をしていると作業服姿で私の方へ走って来る人がいた。肩を痛めていたその青年だった。

「肩の痛みが完全に消えました」という嬉しい報告だった。

 現場でのやり取りの中で学んだ”日常動作に潜む使いすぎの事例”である。 動作時に一時的な大きな負荷をかければ、使い過ぎに直ぐ気づくことができるかもしれない。けれど日常の当たり前の低負荷作業であっても、毎日のように繰り返す継続的負荷が、「筋の過剰使用→過緊張・硬化→痛み」へとつながる可能性があるのだ。この視点は、その後、痛み(傷害)へとつながる様々な身体動作の発見へとつながっていくことになる。

2024年4月24日水曜日

杖と手すり2

 杖と共に助けられたのが 階段に敷設された「手すり 」である。右膝の傷害を負い、左手に杖を持った身としては、やはり左側の手すりを使いたい。痛みが強い時は、強く手すりを握った。そうすると重心の位置が変わり、アンバランスに導く力が働いている事が気になった。 

20年ほど前から、歩法・走法と同様に階段を、いかに効率的(楽に)昇るか、その方法論を研究し、今もアップデートを重ねている。 しかし半月板断裂の場合は、歩く技法では間に合わない。安静を求められる時は、当然エレベーターやエスカレーターに頼った。 


自力歩行が可能になると、ラクに行える昇降技法が奏功した。 

ところで、階段やステップの昇降時は 手すりを握らず、その名称通り軽く「すりながら」上り下りした。バランスを崩した時はすぐ握れるように「手の内」でソフトにさわるのがポイント。強く握ると重心が崩れてしまう。

様々な日常の動作にも言えることだが、それが習慣になると、左右半身や前後面の筋肉に強弱・硬軟の差(左右差・前後差)が大きくなると、骨格に歪みが生じたり、動作にアンバランスが生じる恐れもある。

 不安な時は無理をする必要がないが、固定物に軽く触れているだけで、身体は安定する。固定物がない場合は、片側の大腿部側面に軽く中指で触れながら歩くだけでも安定した歩行になる。階段昇降時も同様に動作が楽になる。

 10年前に2週間入院して 寝て過ごした後の歩行不安定期はこの歩法に助けられた。

 この負傷経験は、トレーナーとしての視点や考え方を深めることに繋がったことは、確かだろう。(勿論、受傷したくなかったが)

2024年4月23日火曜日

杖と手すり1

今年2月に右膝のMRIで半月板断裂と診断された。何かの衝撃で痛みが出たのではない。気がついたら痛みが増悪し、まともに歩けなくなった。 杖も暫く使った。私の場合は左手(健側)で杖を持つ方法が最も痛みが軽減することもわかった。杖を使う人が思っていた以上に多いという事実にも気づいた。自らの身体状況が変わると 世の中を見る目線まで変化する。杖は痛みがある時は大変重宝であるが、使い方(多用するなど)次第で、左右の筋骨格系にアンバランスが生じて 別の運動器障害を誘発するリスクも予想される。


 訳があり、最悪の時期に 杖を着きながら遠出をした。おまけに道に迷いかなり歩いてしまった。帰路の最終段階で自宅最寄り駅からの歩行は困難を極めた。たかだか300m強の道のりは痛みとの戦い。 杖を握る手に、ありったけの力を込めながら4分の道を15分以上かけて帰宅した。 驚いたことに、一夜明け目覚めると杖を握った左中指がバネ指になっていた。 無症状の指が一夜にして変わってしまったのだ 。力はある方だが それも災いし、さらに加齢も手伝って左手中指の関節が悲鳴を上げたのだろう。 

治療についてドクターから説明を聞いた。右膝の関節左右に穴をあけ、半月板を取り出す手術療法があるが、保存療法(運動療法)を選択した。浴槽でリハトレをするなどで、 今は、下り階段は少々辛いが、平たんな道であれば普通に?歩くことができる。ドクターによれば治るのに半年は かかるらしい。つまり7月には回復するということだ。 


 ところで 2015年に「カラダ再生 動ける体のつくり方 ~なぜ階段は後ろ向きに下りると楽なのか?~」という著書を出した。 早大で授業中に学生から 「祖母は後ろ向きに降りてます」やアスリート学生から「合宿で追い込んだ最終日は、階段を前から降りられず、後ろ向きで降りた」などの声も聞いた。また、街の中で後ろ向きに階段を降りる高齢者と遭遇した事もある。
しかし、まさか自分が実生活で、必要に迫られ、後ろ向きに降りるようになるなど想像もしなかった。と同時に この技法を知っていて助かったことも事実である。 

 さて何故、断裂したのか? 

 長年の高強度トレーニングやスポーツで、かなり負担をかけ続けたことで半月板が損耗していた?そして、体調不良をきっかけに6年間の運動休止。その後、軽い「家トレ」1年継続。そして、2023年12月ジムへ入会し、7年ぶりにトレーニングを再開した。

 軽いトレーニングのつもりでも廃用性適応を経た身体(関節)には過剰負荷だった可能性もあり、半月板断裂への道は進行していたと振り返っている。 昔のように動ける感覚(実際、近い動作はできる)と、相応に変化したフィジカルとのギャップには 気づきにくいという知識はあっても、経験をしなければ、わからないことかもしれない。(続く)

2024年2月3日土曜日

カウントダウンの人生観

人はある年齢を超えると、ゴールから逆算して人生を考えるようになるらしい。最近は、特にその言葉が実感をもって心に響いてくる。

 ふと父母は何を遺したのだろうと考える。生き様?言葉?子である私? しかし、何を思い、どんなことを考えていたのだろうかについては謎である。 

遺された者が一番知りたいのは、その謎の部分である。確かに想像することはできる。想像が広がることはロマンかもしれないし、想いの深まりへとつながるのかもしれない。 記憶をたどれは言葉にたどり着く。言葉の根底に潜む思いを想像することはできるのだが、、、、
    
母の本ほど売れなかったが、私も数冊の本を書いた。魂を込めた成果物としては大切なものだが、教科書のような本の中身は、正直いって味気ないものである。

そこには「根底に潜む想いや考え」が見つけられないからだ。 かろうじて、まえがきや、あとがきにはそのヒントが滲みでることもある。 そんなことを考えながら、家族には言葉(エッセイのようなもの)を遺したいと思うようになった。 

カウントダウンの人生観からの一歩だろうか。

2024年1月4日木曜日

しあわせの構図

10代の頃、武道を通じて「般若心経」に触れる機会があった。 その300文字足らずのお経にある「色即是空」という文言に、なぜか心を惹かれた。

 般若心経のなかに「眼耳鼻舌身意もなく、色聲香味觸法もなく」という下りがある。 

 和訳すると、 「実体はないという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もない。 目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった 感覚の対象も様々な心の思いもない」となる。 無の境地・執着しない心(解脱)を示しているのだが、言葉として理解は出来ても、実感を併せ持つことは容易ではない。

 その昔、オーストラリア人と宗教の話をした時に、仏教は難しいと言われたことを思い出した。 確かにキリスト教と比べると難解に感じることは当然のようにも思える。

さて、仏教の境地とは離れるが、トレーナーとしては「感覚の世界」を大切にしている。
人は痛みや違和感には敏感でも、動きに伴う快感覚には疎いような気がする。
動作時の不快や快感覚を共有することで、みえてくることも多く重要と考えている。
五感の良い刺激も、体を整えていくアプローチでは有効となる。 

五感を羅列すると 
  目=視覚 →美しいものや 美しい景色に触れることは 心地よい 
  耳=聴覚 →音楽や自然の中で聴こえる川のせせらぎや風の声も 心地よい 
  鼻=嗅覚 →良い香りにふれることは 心地よい 
  舌=味覚 →美味しい食事や飲み物は 心地よい 
  皮膚=触覚→滑らかなものや 好きな動物にふれることは 心地よい  愛情ある手に触れられることは(=手当)心地よい 

 心地よく五感を満足させることは、幸せであり心身を喜ばせる。



2023年11月27日月曜日

突然 女性の叫び声が

突然、女性の絶叫が聞こえた。比較的小さめの2階建てのビルで、しょう害者が制作した小物販売やレストラン、リサイクルショップなどが入っているビルがある。私は入口近くのショップで小物を見ていた。その時のことだ。女性の絶叫を聴いたのは。

TVや映画の中ではあるが、現実の世界でその声を聴いたのは初めてかも知れない。 廊下に出ると大柄な60歳前後の女性が、立ち姿勢のまま唸っている。「ぎっくり腰」とご本人の口から何度も漏れ聞こえた。

重そうな荷物を手に持って、急いで帰らなければならないと時間を気にされていたが、激痛で動けない。壁を左手で触ったまま、数センチ足を出すと悶絶の表情を浮かべた。救急車を呼ぶべきか・・などとつぶやいていたが、荷物を預かり楽な姿勢をとらせ、ゆっくり呼吸をするように促した。 

 右足で体重を支えられるが、左で体重を支えようとすると痛がる。右で体重を支え、楽な姿勢をとるようにすると、通常会話が可能になった。それで安心したのか、5m先の玄関の前に置いてある自転車に向かおうとするが、少し動くと激痛で顔が歪んだ。

話を聞いて頂ける状態になったので、自分がスポーツトレーナーであることを伝えると表情が少し和らいだ。
 
15kgはありそうな荷物の中身は書類だという。いつも右手で荷物を持つ癖が有り、この日も右手で、その重量物を持った瞬間に激痛が走ったという。腰に触れると左側の背筋が硬く盛り上がっているのがわかった。

右足で体重をかけながら少しずつ歩を進め玄関を出た。愛用の自転車が荷物運搬用の頑丈でとても重い。彼女に変わって帰る方向に自転車の向きを変えた。

体が最も楽と感じる姿勢をとることを何度か訴えていたのだが、見ると大きなビルの円柱形の柱にもたれ、まるで空気イスの姿勢(=膝と股関節を100度ほどに曲げた姿勢)をとっていた。それが楽だという。
これを見て自転車に乗って移動できることがイメージできた、案の定、自転車のサドルに乗ると「大丈夫だ」とつぶやき、何事もなかったようにスイスイと自宅へ向かった。

10分ほどの出来事だった。 PS.事後のコメント ・体が最も楽と感じる姿勢をとるように声変えると、壁に背を持たれて空気イスの姿勢をとった。それで、ひざ・股関節が緩み、腰が緩んだ。 

普段の体使いの癖が、大きく影響した可能性が考えられる。左右背筋の硬さや強さのアンバランスがあると、骨盤の左右・前後の傾斜が生じ、体全体のアンバランスが生じる可能性あある。 ひざ、腰、股関節、肩などの運動器の慢性痛の多くは、生活習慣動作が創り出していると言えるのではないか。

これを「習慣動作病」と呼んでいる(矢野史也名付け)。

2023年10月29日日曜日

鉄人 小西薫先生ご逝去の報に触れて

鉄人と思っていた小西 薫さんが逝った。多くの功績を残して。 
思い出も少なくない。 日本sc協 関東支部広報委員長時代 支部sc協ニュースで小西先生を特集した。当時先生の事務所が渋谷にあった。確か ある年の12月に事務所を取材で訪問した。

そこには数人の女性が事務所の手伝いをされていた、その中には水泳教師の講師として活躍している田村敦子さんもいた。 水中運動メソッド興味があったので 取材はかなり突っ込んだ内容になったのを覚えている。 

CMAというメソッドがある。 かつて爆発的ブームになったPNF(固有受容性神経筋促通法)の水中版である。 (PNFは1940年代にアメリカで誕生した促通手技の一つの方法である。主にリハビリテーションなどで用いられる。1940年代 医師のカバットとPTのノットとの共同作業で完成させた技術。

私はノットのお弟子さんで当時 サンディエゴ大教授のボブムーアから、朝から晩まで一週間、PNF技法を教えていただいた経験がある。それはATCの継続単位認定プログラムとして唯一日本開催されていたものだったが、ボブが亡くなってからは、どうなったのか<日本開催のATC教育プログラムが継続されているかどうかは知らない) 

水中PNFは水療法が進んだドイツにもある。ある日 ドイツと比べて 優位性を訊いたら話にならないとCMAの優位を微細に語った。 私ごとだが8月に左膝を痛めた。 2ヶ月経つがまだ80%の回復だ。 筋挫傷だが温浴で行ったCMAが本当に良く効いた。 助かった。

医者には通わず自分で直したい。治すのではなく直すのだ。そもそも病気は自分で直すもの。 小西先生は独自に資格を発行していた。最高位は水中機能訓練士。 保持者は数人ではないか。田村敦子さんも保持者のひとり。 

午前中は小西先生、午後は矢野史也が陸のPNFを行うコラボ講習も行った。何度も飲んだ。3時間は当たり前だった。互いに熱くなり延長戦は常なること。 何度も連絡を取ったが。会話できる機会は激減した。 最近 どうしてるだろう と思ったところの訃報。残念だ 残念だ !

2023年9月19日火曜日

喧騒の街

渋谷へ行ったのは何年ぶりだろうか?若者の街と呼ばれ始めて以降は来ていない。 ニュース映像を見るたびに自分との縁が希薄になっていった。 そんな中 ある縁がら渋谷行きの電車に乗ることになった。自宅の府中駅からは近く乗車時間は30分 。 

喧騒の街は TVニュースの通りだった。そしてその日の用が終わり(マークシティ)夜の渋谷を探索しながら駅に向かった。 確かに活気のある街だ。しかし好みではやはり銀座。父の勤務先だった銀座は大人の街で親しみが湧く。

だが この渋谷は若者の街か? 私がイメージしていた街ではなかった。確かに若者が覆うが 外国人の数も想像を遥かに超えていた。
ベルギーのカップル。 着物を見事に着こなしていたハンサムボーイは 建築の勉強で日本に来たという。来日10日目で 日本文化を堪能していた。 好感の持てるそのカップルは 私の渋谷への嫌悪感を一気に緩めた。

それどころか、「また来てもいいかな」の思いが脳裏を掠めた。 素敵なストリートミュージシャンとはインスタの交換をした。歌も人柄もよく、魅せられた。 いつか計画中の音楽事業での交流も良いかも。 

「悪くないな 渋谷も♫」

2023年9月5日火曜日

那須高原

>先日一泊で那須高原に行った。 2008年6月~2010年2月までエピナール那須で2週間に一度で会員制メンバーの方やご利用される方を対象に、コンディショニングサービスを担当させていただいた。 

飛距離を上げたい、痩せたい、慢性痛、廃用性運動障害などなど、実にさまざな状況に対してその場で結果を出すといったアプローチを試みた。 かなり挑戦的なものだったが、不思議とうまくいった。 

 さて、このホテルには菅井慎三さんという有名な総料理長がいる。といっても8つのホテルを料理面で統括している立場なので、なかなかアポなしでいっても会える方ではない。 ところが2日目にエピナールを訪ねたら、いらっしゃるとのこと。2008年6月から菅井さんとは仲良くしていただいている。 

同じ武道を経験していることもあるが、当時から その一途な思考・行動が好きでその魅力は今も全く変わらない。 現在の名刺を見ると「とちぎ未来大使」の肩書きが。「とちぎの美味しい食材全国に発信担当官」のキャプション。とても嬉しい知らせだ。

どんどん大きくなっていく菅井さん。けれど、会えばあの時と何も変わらない。変わっていたのは当時の地下足袋姿が若干グレードアップしていたくらい。 
菅井さんのパーソナルトレーナーとしては直ぐに身体チェック&身体調整。

大きな問題もなく元気そう。 菅井さんまた お会いしましょうね。握手をして別れた。 元気で良かったー。

2023年8月15日火曜日

東京散歩

昨夜 東京駅付近を散歩した。昼間の猛暑からすると夕刻からは少し夜風を感じるようになり酷暑からは解放された。 けれど散歩とwetで珍しく喉を潤したくなり 数年ぶりで飲んだ。とはいえグラスに一杯のbeerのみ。 

これが驚く程美味かった。人気ベスト3を尋ね、チョイスした逸品。 気をよくして歩いていると。妙な姿勢で一点を見つめながらbeerを含んでいる外国人が居たので声をかけてみた。

 知的な笑顔のイギリス人のM。英語もとても美しい。 20分前に現れたフルムーン🌕の残影を見つめていたという。まるで映画のシーのように。 

英語で会話したが途中から日本語になった。 日本滞在歴は20年超。書道を嗜み 日本を愛するM。 話が弾み 何度も笑った。英国紳士は素敵だった。

 お仕事は?そこのホテルで働いている。 そこってどこ? 

 指を指していたのはフォーシーズンズ。 
人事部長だった。住まいは吉祥寺。 
 名刺を交換し 再会を約して別れた。 

 今度はMと同じポーズでフルムーンを眺めてみたい。 お言葉に甘えて ホテルを訪ねてみようか。

♫ この日の歩数は1万歩を超えていた‼️

2023年6月26日月曜日

歌は万病に効く♬

 健康で長生きしたければ1日1曲歌いなさい」斉藤一郎、周東寛他著共に医博)                      という新書本が興味深い。

なぜ歌うと健康になるのか?

・免疫力が向上する
・感染症に強くなる
・飲み込む力が強くなる(嚥下機能向上)
・認知症を予防する(脳の活性化)
・ストレスが改善する等々

について、とてもわかりやすく説明している。

ところで、誤嚥性肺炎は高齢者が圧倒的多数という現実がある。
2021年の厚労省資料を見ると、日本における原因別死亡順位は
1位 ガン
2位 心疾患
3位 老衰、
4位 脳血管疾患
5位 肺炎
となるが、肺炎に誤嚥性肺炎を含めると脳血管疾患を抜いて4位にあがる。

さて、効用の一部を紹介すると、口腔には多くの筋群が存在し、歌唱時には舌筋など筋群がよく活動する。これらの筋が協調して働くことで摂食・嚥下運動がスムーズに行われるという。これが誤嚥性肺炎予防につながるのだ。

多くの人は、歌が体にいいということは、うすうす感じているだろうし、「好きだから歌う」というだけで十分なのだけれど、趣味の健康効果について、さらによく知ることができれば動機付けが強化され、その効果も強化されるに違いない。
さらに仲間がいれば楽しいし脳への刺激も高まる。

とあるスポーツクラブでは、参加者みんなで歌いながら水中運動をしている。写真を見るとみんな楽しそうだ。

以前から「歌うことは筋トレ」と周りに吹聴してきた。
舌も声帯も筋肉であり、呼吸筋(吸息筋+呼息筋)=胸鎖乳突筋、斜角筋、前鋸筋、外肋間筋、内肋間筋、横隔膜、腹直筋、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋などが鍛えられるのだから。

自宅でギターを抱えながら、その筋トレを楽しんでいる。ただの趣味だが、効用を聞けば歌も弾んでくる。
「健

2023年6月22日木曜日

姿勢フィットネス ~動きを創る身体感覚~

野村萬斎という狂言師をご存知だろうか。
姿勢や独特の所作から「遠くからでも直ぐに自分だとわかる」と人から言われるそうだ。
彼ほどカラダに軸が通り、所作の安定した人物にお目にかかることは稀である。当然、遠くにいても、大勢の中にいても目立つのだろう。別の視点から見れば、多くの人は少し乱れた姿勢で不安定に立ったり歩いたりしているかもしれない現実があるならば、その際立った所作は、当然、人目を引くだろう。

以前から彼の身体感覚や動作に興味を持って見ている、10年ほど前の朝日新聞に自身の身体動作について語っている記事があった。「日常からどのような状況でも、さっと動けるような立ち方をしている」との本人談。先日のNHKでは、「見事な姿勢で歩いていますね」というアナウンサーに「体が揺れないように歩いている」と答えているシーンを見た。

舞台や稽古、人前だけで、その独特の所作をしているのではなく、日常からそのような身体づくりや動作をしているということであり、それは恐らく意識動作から無意識動作へと繋げ、さらに意識動作で改善するというような無限ループの中で身体システムを働かせているのだろう。

ところで、最近はフィットネスの中で「姿勢づくり」というワードを耳にすることが増えている。姿勢を改善することは腰やひざなど関節痛の改善などにもつながり、美容にもたらす効果も大きいことを考えれば頷ける。
ただ姿勢改善を実現させることは、そう簡単ではないだろう。レッスン時にはある程度できたとしても、それを定着させるためには日常的にも改善メソッドに取り組み、無意識下でも
目標の姿勢や動作ができる必要がある。

生活習慣病の改善と同じで、何よりも大切なことは「習慣化」。
指導者側にも習慣化へと誘うための技法が求められている。















2021年1月14日木曜日

ベタ足生活 ~足裏感覚から動きを創る~

 ヒザや腰に慢性的な痛みや違和感を抱える人にとって、立ち座り、床へのしゃがみ込み、コンセントの抜き差しのような中腰姿勢などは、できればやりたくない、不快な動作と感じる人もいるだろう。

最近は体幹部のトレーニングが注目されるが、体の使い方そのものを見直すことも忘れてはならない。体の使い方を変えることで、ヒザや腰への負担感も和らげることができる。そしてそれを習慣動作にできれば日常動作楽になる。楽になればさらにアクティブな活動やトレーニングへと発展させることもできる。

立位からのヒザ曲げ動作では、ヒザ関節だけが曲がることはない。足首ヒザ股関節が連動して曲がる。そのバランスのいい連動が実はとても重要である。

直立姿勢で足裏に意識を向け、爪先側に体重を乗せていくと、ふくらはぎや背筋など体の背面の緊張感を感じることができる。逆に踵側に体重を乗せていくと、太ももの前や腹筋など、体の前面が緊張するのがわかるだろう。さらに右足に体重をのせると左の背筋の緊張が強くなる。

足裏にかかる重さを左右均等にしてフラットな接地感をキープすることで楽に立つことができる。例えば前屈みの動作では、爪先側に体重がかかりやすくなるが、足裏に意識を向けフラット感(ベタ足感覚)を維持しながら曲げていくと、足首と、ヒザ股関節が自動的にバランスよく連動して働くため局所への負担が軽減され、楽に屈伸動作することができきる。

「楽に立つ」は「楽に動ける」へとつながる。この足裏感覚をベースにした「立つ~動く」という習慣動作への変換ができれば、ひざ・腰事情も大きく変わるだろう。 
この身体技法をわかりやすく「ベタ足生活」と名付けてみた。

2020年12月31日木曜日

命の時間

小学生の頃マンガに夢中になった。中学入学が近づいたとき、父に「ここに座れ」と呼ばれ、中学生で漫画を読むのはみっともないので、小学校卒業と同時にやめるように説得された。 
父は温厚な性格で声を荒げるようなことはなく、静かに説得力を持って喋るので、全く逆らうことはできず(というか逆らう気も起こらず)、本棚に埋め尽くされた漫画をすべて廃棄した。 振り返るとあれ程 夢中になったものをよくやめられたと不思議でならない。 

小学2年生の時、手塚治虫のゼロマンを読み、夢中になっていった。ただ、今考えると、小学生で漫画をやめるような友人は誰ひとりいなかった。 大学生になっても社会人になっても漫画を読み続ける時代になることを、さらにはマンガがMANGAとなり世界に誇る日本文化として一大ビジネスにまで発展することを父も予測はできなかっただろう。 

ところで手塚治虫が医師免許を持っていることを知る人は多いだろう。医師への道を捨て漫画家を志した人である。その手塚の作品に「永遠の命」をテーマに時間や空間を超えて展開する壮大なドラマ「火の鳥」という秀作がある。 見事なストーリー展開とワクワクが止まらない面白さには衝撃を受けた。また手塚作品には、時間を止めることができる主人公の物語「不思議な少年」もユニークな作品として記憶に残っている。 

火の鳥は「永遠の時間」、不思議な少年は「一瞬の時間」どちらも時間がキーワードである。 人は誰も偶然に生まれて、必然として死んでいく。この限りある時間を生きていくのが人間。長短はあっても限られた時間を生きるのは皆同じである。 
人生シーンの中には、時間が早く過ぎて欲しいと願うこともあれば、この幸福な時間がずっと続いて欲しいと思うこともあるだろう。ファンタジーではない現実の世界では時間をコントロールすることなど誰にもできない。

こうしている時間も確実に一秒一秒時が刻まれ、カウントダウンが続いている。そう考えると、時間との付き合い方はこの上なく重要であることに気づく。 

105歳で亡くなった医師 日野原重明さんは、小学校で「命の授業」を行っていた。子どもの時はすべての時間を自分のためだけに使っている。 「大人になるということは大切な時間を人のために使うことなのですよ」。そして「命とは時間のことなのです」と訴えた。

限られた命とは、限られた時間のことである.「時間を大切に、すべての命を大切にしましょう」という荘厳なメッセージである。 
 今年もあっという間に師走。時の経過スピードは毎年加速度的に速くなっていることを自覚せずにはいられない。今年、あるいは今年を含めた今後数年は、失われた年、或いは失われた時代と呼ばれるのかも知れない。 

年末は私の誕生日、年齢を指折り数えていた時代からカウントダウンで年(歳)を数えるようになった。地球にも年齢がある。人の命と比べるとその長さなどは瞬間といえる。

けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。 「命とは時間のことである」というこのメッセージは重い。暇つぶし=時間つぶし=命つぶし、と考えると 命である時間の概念を見直さざるを得ない。 

家から5分のところに1375年の歴史を持つ神社がある。例年末は24時間開放であるが、今年は早仕舞いした。
そして多くの人は、いつもとは違う不安と希望を抱えながら新年を迎えることになるのだろう。  

あなたは残された命(時間)をどう使いますか?

(2015.12「時間よとまれ」改題&リライト。2020.12メルマガSwim Partner投稿)

2020年12月12日土曜日

カラダの言い分

健康情報の氾濫は今に始まったことではない。書籍、新聞、TV、ラジオ、雑誌、インターネット、口コミ等々から一喜一憂する人は多いのだろう。また、健康づくりを目的とした運動に関する情報も世に溢れている。

ところで名医と称する医師が登場するTV番組などで、運動指導を披露するシーンをみかけることがある。しかし、これにはなからず違和感を覚える。

確かに医師で運動指導に優れている技術を持つ人がいるかもしれないが、極めて稀だろう。そのような医師がTVに出て指導する姿はみたことがない。運動実施時のリスクをアドバイスするならわかるが、医師が治療を担当するように、健康運動指導も運動指導者が行うのが自然だろう。

氾濫の中には役に立つ情報があるだろうが、運動理論に支配され過ぎると、カラダが発する声が聴こえづらくなる気がする。
例えば怪我をした時には患部を冷やし、72時間後は温めるという理屈がある。根拠に基づくものだろうがカラダはそれを望んでいないこともあるのだ

そんな時はカラダが発する声に従った方がいい。医者との付き合いをやめ、長年 カラダとの対話という方法で様々な持病と向き合ってきたことを、五木寛之が、その著書の中で告白してしている。理屈はさておき、その時冷やしたいのか 温めたいかをカラダに聴き、それに従う。その結果、病気知らずの体を維持しているという。

カラダの発する声に従う=心地よさを求めること。 と言い変えることができるだろう。痛いところに手を当てることで痛みは和らぐし、伸びをすることで心身がほぐれる。それぞれ、痛みから逃げたり、リラックスする方法だが、基本は、どちらもカラダが求めるに声に従がった自然な動作である。

ウォーキングは大きなストライドで速く歩くことが推奨されているが、私の場合、その歩き方では、心地よいと感じることができない。なので、快を感じる範囲で歩幅もスピードも調整するようにしている。

基本は風や気候を気持ちよく感じたり、景色を楽しめる範囲の中で行うようにしている。なぜなら、それを超えると不快だからだ。
しかし、十人十色。大股で速く歩く方法が快ならばそうすればいいし、走るのが快ならばそうすればいい。

体の言い分に耳を傾けて、それに従う。その言い分は、季節や体調でも違う。その時その時、現在只今の言い分に従うことが大切。
それが何より心地いいのだから。

★wellness for life いつまでも動けるカラダ
"心地よいは 健康づくりに有利"

2020年12月1日火曜日

下駄とタビと府中(ゲタ・ウォーク)

 1年前に府中に越してきた。

今春、雪駄を履いていたら「貴方もやっと府中の人になったね!」と声をかけられたことがあった。
今年の夏は下駄で過ごした。
秋になっても下駄がやめられなかった。11月に とある方から黒の雪駄とカッコイイ足袋を頂いた。足袋を履くのは二度目、一度目は多くの方が経験する式典。これは式の間だけの和装であるが、足袋で生活するのは初めての経験だ。

下駄に足袋。これが標準となってしまった。足袋がこれほど温かいとは知らなかった。空気の層をつくるからだろう。下駄生活も半年。様々な気づきがあった。

私の左足は痛みはあまりないのだが、外反拇趾気味で横アーチが潰れているためアーチの真ん中が靴底で擦れ 横1cm 縦1.5cmくらいの分厚い皮膚となり、かなり硬くなっていた。

 その硬くなった足裏の部分には違和感があり気になっていた。ところがある日その硬質部分を触ったら、半分ほどの薄さに変わっていた。柔らかな靴底ではアーチが潰れ、下駄履きでは、ささやかだがアーチが復活したのだ。これには驚いた。

 さらに下駄歩きだと一歩づつ 程よい着地衝撃があり脳天まで響くのだ。思い出したのが、骨粗鬆症対策として話題になった「かかと落とし」である。両足で立ち、かかとを高く上げて(ヒールレイズ)から一気にかかとを落下させ地面(床)と衝突させ骨を刺激するというもの。
その効果検証は知らないが TVで医師が解説しているシーンを観たことがある。下駄ウォークならそれすら必要ないだろう。
 師走に突入した。足袋と下駄で冬を越そうと思う。

2020年11月16日月曜日

ハイブリッド・アクアトレーナー


筋肉は関節を跨いで骨と骨をつないでおり、筋収縮により関節を支点に骨が動く。これが動作である。通常、左右動作、前後動作など日常動作には偏りがあるのが普通であり、体はその偏った使用状況に適応する。よく使う筋肉は強くなり、あまり使わない筋肉は弱化する。大なり小なり、「強い、弱い、硬い、柔らかい」といった筋肉が混在するが、その偏りに応じて、筋骨格系のアンバランスが形成される。

国民病である「腰痛、ひざ痛、肩こり」の多くにこの筋肉と骨格のアンバランスが影響している可能性が考えられる。中村好男早大教授がエッセイの中で「生活習慣・病」という言葉を用いている。習慣の後ろに「・」をつけたのだ。この「・」により見慣れた「生活習慣病」という文言への印象が大きく違ってくる。「生活習慣」と「病」がそれぞれクローズアップされ、目にした人に強く訴えかけてくるように感じる。

「生活習慣・病」の代表はガン、心臓疾患、脳血管障害であり、日本においては全死因の60%が、この病で亡くなっている。比較するのは気が引けるがコロナ死の1600人に対して生活習慣病死は年間約70万人(平成26年実績)である。

ある人は生活習慣病を「緩慢なる自殺行為」と称した。自殺という表現は言いすぎかもしれないが。無知であるが故の病であり、意識や知識、習慣を変えることで予防できるなら、水泳コーチなど運動インストラクターもライフスタイルアドバイザーとして仕事に向き合う側面を持つことにも意義があるだろう。

さらに整形外科的疾患の多くも日常生活習慣動作が影響している可能性がある。長年の動作習慣で筋骨格系にヒズミが生じることで、慢性的な痛みへと繋がることも考えられる。このような運動器のトラブルも「生活習慣・病」とらえることができるのではないだろうか。

このような「生活習慣・病」に対しては水中運動、水中アプローチの大いなる可能性を感じる。当然のこととして陸上で機能する体をつくるために陸上での専門的なアプローチも欠かせない。    水中と陸上という異なる環境のメリットを生かし(水陸で対応できる、あるいは水中と陸上を組み合わせた)指導技術を持つコーチ・インストラクター(ハイブリッド・アクアトレーナー)がフィットネスの世界で活躍する日が来ないものだろうか。


2020年9月23日水曜日

ミドルエイジからの健康塾2006 あとがき(抜粋) 

日本人の平均寿命が、世界一を更新している一方で、介護を必要とする高齢者の数が激増している。介護が必要となる理由は、いわゆる生活習慣病というよりも加齢に伴い活動量の低下した生活にカラダが適応することで虚弱化してしまうこと、言い換えれば生活不活発化による老化の進行であるとの認識の下、虚弱化したカラダ(筋肉)を鍛えることで、立つ、座る、歩くといった日常生活動作に不自由のない体作りを目指そうというが最近の高齢者の健康づくりのの基本的な考え方になってい動作性に優れたカラダづくりは高齢者ばかりではなく、全ての人に求められるものであり、カラダづくりの基本と言えます。アスリートにとってもパフォーマンスするためには重要な要素である。  

関節をまたいで筋肉が骨についており、筋肉を縮めることで動作が起こる。しっかりと動作を行うためには、適度な筋肉の強さを保持することが重要である。このことは、当然、筋肉を鍛えるという発想になる。しかし、私は、動作に影響を及ぼす筋肉のバランスを整えることが、より重要と考えている。



ヒトには右利き左利きが有り、よく使う筋肉は筋肉や強くなり、使わない筋肉は弱くなる。当然の結果として、強い弱い筋肉が体に混在することになり、右半身と左半身、カラダの前面と後面など互いに影響し合っている筋肉のアンバランスが生じ。動作にも影響を及ぼすことになる。誰もが大なり小なりこのようなアンバランスを抱えているのだ。

硬くなった筋肉が伸ばされる時にはブレーキがかかるために、違和感や動きづらさを感じる。場合によっては痛みを伴うことがあるかもしれない。動作を伴う違和感が有る時などには難しい理屈は考えないで、心地よさを感じながら動くことである。

きっとカラダは良い方向へ変化してくれるに違いない。カラダは快を求めているのだから。


 

2020年8月28日金曜日

イノベーション(Swim Partner掲載記事)

                
その時、観衆は妙なものを

目の当たりにしました。

何と一人の選手が、

両手を地面についたのです。

 これは、ある日の新聞広告。

インパクトのある秀作だ。

左から二番目の選手だけが、クラウチングスタートの構えをとり、
観衆は、その不思議な格好を奇異の目で眺めている。
舞台は1896年(明治29年)、第一回アテネオリンピック、男子100m
両手をついているのは優勝したトーマス・バーク(米国)。

1968年メキシコ五輪 男子走り高跳び。優勝したのは、かつて自分の身長さえ超せなかった
ディック・フォスベリー(米国)。
開発途中は嘲笑を受けながら、人類が目にしたことのない「背面跳び」を披露。
当時はフォスベリー跳びとも言われた。いまはハイジャンプの跳び方のスタンダードとなっている。

バタフライが平泳キックだった時代に、ドルフィンキックを考案。
世界記録をつくった競泳の長沢二郎(早大)。
怪我の功名でもあったが、イノベーションは突然降ってくる。

常識を覆す発想で、新しい価値を創り出す。
イノベーター達が開発した技術はいずれも、未来の当たり前へとつながっていく。

コロナ禍はあらゆるものを飲み込み、文化も、ビジネスもうねりの中に巻き込まれていった。
フィットネスクラブの利用者数は半減、スイミングは3割源と聞く。
今だからこそ、誰もが考えなかった新しい発想による取り組みが求められる。
ベビーブームに乗り黙っていても3千人の会員が集まった時代を経験した多くのクラブは
どうしても保守的な思考に陥りがち。誰かに何かをしてもらうのではなく、自らが
考え、知恵を出して命懸けで取り組む姿勢からイノベーションが現れるはず。
それが変化への対応であり、成し遂げたものが生き残るのというのが進化論である。
突然降ってくるからと待っていては何も起こらない。情報、思考、人的交流
勉強・学習など急務ではないが重要なことを 地道に続けるなどの準備があってこそ
降りてくるものである。
それぞれ(個人も法人も)の準備状況はいかに。

写真:2018年7月24日 朝日新聞 大日本印刷の広告