2015年8月2日日曜日

死生観

 今年2月、出張先の大阪からの帰り、左目に異変。光がちらついたり、霞がかかったり。これが白内障か?と気持ちは少しのんびりしていた。ところが、3日目の朝、左目は完全に見えなくなっていた。これは異常事態、街の眼科医へ直行した。そもそもその一ヶ月前この医院で綺麗な目(眼底)と診断されたばかり。何が起こったのだ?

 眼科医の顔色が変わった。「左目の中心動脈が塞がっている!すぐに大学病院飛んで行って!」という大きな声に促された。
 一日中検査を行い、プラークによる左頚動脈の狭窄が見つかった。そのプラークが左目に飛んで動脈を塞いだことが判明。この時点での狭窄率は何と80%超。風前の灯ともいわれた。

 なんの前触れもなく、普通に生活していた自分に何が起こったのか?事態を受け入れることができなかった。仕事や家族のことばかりが気になった。
 緊急入院が決まった。発症後1ヶ月は、不安定なため手術が受けられない。それまで症状を安定させるため24時間体制での投薬・点滴が続いた。そして3月11日の手術が決まった。

 
 手術までの日々は恐怖だった。プラークが再度飛び、脳血管を塞げば大変な状況となる。手術中にプラークが飛ぶ可能性も。そんなことを考えながら過ごしていた。顔はいつも微笑んでいが、この時点では死を覚悟していた。葬儀は家族葬。海へ散骨して欲しいと家族にも伝えた。

 死を前に考えることは、「あの時、ああすればよかった、こうすればよかった」という後悔であることは、知識として知っていた。やはり自分の場合もそうだった。
 4時間の手術を終え目を覚ました。頭はぼんやりしていたが、どうやら生還したようだ。そして手術後10日で退院。

 人は偶然に生まれるが、死は必然。誰もが知ることだが、誰もがその実感なく生きている。けれども、その時ではもう遅いのだ。

死を考えることは、生を見つめること。

“後悔しない生き方をしたい”  これまでにはなかった強い思いが心に刻まれた。


   *左目の現状、視力はかなり低下したものの左目だけでも道を歩けるくらいに回復しています。

0 件のコメント:

コメントを投稿