2019年11月26日火曜日

原理の狭間で 那須物語 アナザーストーリー 魚住廣信プロフェッサーと私


1022日から25日まで34日の二人旅をした。目的地は御用邸を要するロイヤルリゾート地 那須。そしてターゲットはホテルエピナール那須の総料理長でグループホテルの統括総料理長でもある菅井慎三さん。
  
 数人のトレーナーや運動指導者に声をかけ。魚住先生の身体調整を見てもらった。中村好男早大教授。那須どうぶつ王国総支配人 鈴木和也さん。栃木プロジェクトプロ 高根沢武一社長という、親しくさせていただいている方にも同席してもらった。なぜなら奇跡の瞬間を見て欲しかったからだ。といっても、魚住先生や私にとっては奇跡ではなく普通のこと。傍からは奇跡に見えるだけ。

 この一部始終を見ていたどうぶつ王国の鈴木総支配人から、姫川明輝さんという漫画家さんが、やはり首を痛めて苦しんでいるので、みて欲しいとオファーがあり、翌日どうぶつ王国に来るということでお会いすることになった。東京の仕事はすべてキャンセルし、このSOSを優先させた。
前半が私、後半が魚住先生という役割でのぞみ、完璧にミッションをクリアした。


魚住廣信プロフェッサーとは20年来のお付き合いをしている。当時の肩書きは、兵庫大学助教授、NSCA理事、アスレティックトレーナー、ストレングスコーチ、陸上、野球、バレーの技術指導者、三笠宮寛仁親王殿下のパーソナルトレーナー、元阪神タイガースコンディショニングディレクター等々書ききれない程である。PNFを初めて日本に紹介した人、クライオセラピーを日本に初めて紹介した人。事実上NSCAジャパンをつくった人でもあり、寛仁親王殿下が最高顧問であったのは魚住先生とも関係があったからであり、こういうことを知る人も少なくなっているのだろう。

また、体育の世界では歴史に残るロシア体育アカデミーのマトヴェーエフ博士がアジアで唯一認めたのが魚住先生であり、マトヴェーエフ研究で名誉教育学博士をマトヴェーエフ博士自身から受けている。これはとんでもないエポックメイクである。

とにかく常人ではない、未だに進化を続けている人でとどまることを知らない。しかし多くのトレーナーは、そのアップデートされた技術ばかりを学ぼうとしているように見える。気持ちはわかるが、学ぶべきは根底に有る思想や哲学であり、その考え方だ。how to ばかりを学んでいては一生かかっても終わらない。基本をしっかり抑えたら、守破離の破に向かい、理を目指して進むべきであろう。

酒を飲むと魚住先生はいつもそれを嘆いている。自分で考えて実行し試行錯誤しながらも自らの方法論を確立すべきである。こんなことを書いても神の手から直接how toを学ぼうとする人は後を絶たないのだろう。

木を見て森を見ず。結果は正しい。と言っているのだから結果を生む実践をすればいいのだ。結果は正しいと言っているのだから。

己こそ己の寄るべ、己を置きて誰に寄るべぞ、よき整えし己こそ.まこと得がたき寄るべなり。

自分こそを拠り所にすべきと仏も教えている。

 この方を上回るトレーナーは存在しない。そう確信して第一回の勉強会に参加したことが始まりとなった。しかし、20年の中で技術を学んだのは最初の数年であり、あとは技術をほとんど学んでいない。しかし、根底の思想はよく理解しているつもりだ。当然まだ及ぶものではないが、結果は出るようになっている。
 それは守から始まり、破 離へと進んでいるからなのかも知れない。技術の学びは少ないが、それ以上に大きなことを学んでいる自負が有る。


2019年11月21日木曜日

原理の狭間で 那須物語2 ホテルエピナール那須 菅井慎三総料理長


1022日から25日まで34日の二人旅をした。目的地は御用邸を要するロイヤルリゾート地 那須。そしてターゲットはホテルエピナール那須の総料理長でグループホテルの統括総料理長でもある菅井慎三さん。

 
菅井さんと初めて会ったのは確か20095月だったろうか。菅井さんはボードメンバーであり、一調理人ではない。和の調理人としてその衣装に身を包み、立ち姿も決まっていた。だがなぜか、足元を見ると地下足袋を履いている。

理由を聞くと、調理場も調理人の衣服も美しさを保たなければいけない。また、包丁は決して落としてはならないもの。これを絶対に守る気構えが地下足袋だという。

優しい顔をしていたがサムライの目をしていて惹き込まれた。そんな菅井さんが首を痛め酷い状態であることを耳にした。調理人はアライメントが崩れやすい仕事。

案の定、首を痛め手術し軽快するが、腕がしびれる状況が再発。頼った先が「いい整体師」と聞いたその人。うつぶせの状態で肩を踏まれ、足もしびれ生活に支障が出ているというではないか。これは、ほっとけない。
直ぐに、魚住先生に連絡ししたところ、那須行を決めてくれた。これが、那須への二人旅のきっかけとなった。

数人のトレーナーや運動指導者に声をかけ。魚住先生が身体調整をしている現場を見てもらった。中村好男 早大教授。那須どうぶつ王国総支配人 鈴木和也さん。栃木プロジェクトプロ 高根沢武一社長という、親しくさせていただいている方にも同席してもらった。

なぜなら奇跡の瞬間を見て欲しかったからだ。といっても、魚住先生や私にとっては必ずしも、奇跡ではなく 普通のことというべきだろうか。傍からは、奇跡のように見えるだけかも知れない。

私には結果は見えていたので、時々その場を離れたり皆の様子を観察していた。結果は予想通りうまくいった。そして菅井さん自身も驚かれていた。

身体調整とは生来のボディバランス(自然体)を取り戻すように、調整し直すこと。治すではなく、元に戻すことである。

そして大切なことは、整った、その身体バランスを継続することにある。

このサポートは私が担当することにした。


2019年11月12日火曜日

中年肥えやすく、記憶保ちがたし


「身体は適度に使えば強化され、使わなければ脆弱化する」というトレーニングの原則があります。加齢に伴い体力が低下していくことは万人が認めることですが、虚弱高齢者が存在する一方で、若者も真似できないほどの体力・気力を保持する高齢者が存在することも事実です。
26歳の夏
現在エベレスト登頂に挑戦中の三浦雄一郎氏は75歳。96歳の現役医師、日野原重明氏の活躍も広く知られています。
 加齢に伴い活動量が減少すると、負荷の小さな環境に身体が適応することで体力が低下していきます。活動体力が低下することでますます不活発になり、虚弱化を進行させるという側面を見逃すことはできません。

頭と身体を上手に刺激し続け、生きがいを探し、人生を楽しむという姿勢を持ち続けている人は、老いてますます元気ということなのでしょう。

昨年11月、日本認知症学会と東京都老人総合研究所主催の「認知症はここまで治せる!防げる!」という公開講座に参加しました。関心の高さを表すように一階席も二階席も満員。
「中年肥えやすく、記憶保ちがたし」というフレーズで、場内の笑いを誘ったのが群馬大医学部の山口春保教授。肉より魚と野菜を食べ、赤ワインを少量飲んで、人と楽しく交わり、大いに笑って、週に2回は運動で汗をかき、短時間の昼寝をし、前向きに生きることが脳老化を防ぐ秘訣とまとめました。

2回の運動は、「楽しくない」とか「辛い運動」ではダメで、「楽しく行なわなければ効果がない」というマウスの実験結果をベースにした話には説得力がありました。
ガンバリズムを発揮している健康運動の実践者は耳を傾ける必要がありそうです。

                                  2008.5.8記


2019年11月7日木曜日

カラダづくりって、一体何だろう?  原理の狭間で 


40年間体を鍛えてきた。

筋トレ  ベンチ120kg スクワット150kg
大学体育会体操部から少林寺拳法(三段 )
ランニングでは(日野走友会)に所属。
水泳では 関東マスターズ31+で新記録優勝などの歴。

2015に入院手術 前後2ヶ月もトレーニングを休んだのは人生初だった。その後3年間、
心身共に疲弊し療養生活を強いられた。
だが、 この3年間は苦しみもあったが、実は2年半くらい、は楽しみを見つけて
過ごしていた。考え事をするには絶好の機会で、人生設計を再考するには最高の時間
だったかもしれない。
これまで長い間、原理原則に従って、トレーニングを続けてきた。
それなりに体型は変化し、現在進行形で鍛えているという
セルフイメージは心地良いものだったし、それが自信にも
つながっていた。

同時に無理もしていた。つり輪で痛めた肘を治さず、
トレーニングに入っていったことにも無理があった。背中を痛めた
こともある。これはベンチプレスで見てもわからないくらいの
微小な回旋動作が癖になっていたこと関係している。
漸進性過負荷の原理に従い進めることは正しいが、年齢の壁もあり
無理を強いれば怪我につながる。廃用性萎縮を恐れ、とにかく
ノルマをこなしていった。その結果は満身創痍だった。
ランニングクラブは膝痛で辞めた。

しかし、3年間のトレーニング休止の結果は酷いものだった。体型の変化はもちろんのこと、
筋力、持久力、柔軟性などの体力要素がすべて低下。そして何よりも、気力が低下し行動力が
著しく鈍った。これを、どのように回復させるかは闇の中で、その方法論簡単には見つける
ことができなかった。

悶々とする中、今年4月ペンの虫が動き始めた。もともと書くことは趣味。共著1冊、単著3冊、
共同執筆2冊、その間に12年間,一部上場 日機装㈱の社内報で健康コラム担当、クラブパートナー
にナレッジノートを6年連載、介護事業者の8割読むというお化け雑誌「月間DAY」に 身体認知
による 動きのバランス回復法 巻頭12ページ執筆などを担当。

学生時代朝日新聞のデスクだった父から「お前は俺より文書が
上手い」と言われたのがきっかけで 書き始めた。そして本を
読みまくった。 純文学、 エッセイ、SF、推理小説、サスペンス、
詩、短歌などを雜読。前職では社内報巻頭記事、会報の編集と記事
執筆、役員のGライター、外部へのインフォメーションニュース
レター執筆編集、指導マニュアル、運動生理学ノートなど、ここでも
よく書いた。

ところで、母親は6冊の著書を残した。どれも売れた競合がなく
独壇場だったから。版を重ね数10版も珍しくなっかった。
一主婦であるにも関わらず、よく頑張ったと思うが、
実は母の本は読んだことがない 。そもそもその中身には興味がない。
遺物としてはいいが、そもそもコンテンツに興味がないのだ。やはり自分の家族が興味を持って
読んでくれるものを書きたい。この気持ちが、ブログ再スタートのきっかけにもなった。


そしてこのブログを遺書のように書こうと決めた。2019年4月緩やかに書き始め、
8月の「イノベーション」からスイッチが入った。遺書ならば娘達も興味深く読んでくれる
に違いない。これが正直なところであった。母は死んで著作を遺したが、PCのない時代に
活動したのにも関わらず、母の名前を検索すると当時の母の活動の様子を窺い知ることが
出来た。これには夢中になった。亡くなった当時はネット情報を貪り読んだ。
生き様を残すこと。遺族にとって、これほど面白いものはない。

別に、今のところ死ぬ予定はない。しかし 誰もが死ぬという現実がある一方で、
多くの人は永遠の命を持っているように生きているように思えてならない。私は、
78歳が最期と取り敢えず決めた。これは母の命日であり、私の誕生日でもある。

私は未だに父母の誕生日さえ知らない。けれど母の命日は忘れられない。
私の誕生日に逝ったこと。ここにメッセージ性を強く感じざるを得ない。
その他にも色々あるのだが、ともかく78歳が最期の年と決めた。

前倒しもあれば延長もあるかもしれない。だけどそれはどうでもいいこと。
カウントダウンしながら生きることに意味がある。あと3日しか生きられなかったら
1日目は何をする?、2日目は?、最後の言葉は?と畳み掛けると多くの人は
充実した3日間を過ごしたいと願っていることがわかる。

なのになぜ、永遠の命があるように生きているのだろうか。それではNHKの
チコちゃんも怒るかもしれない。人は偶然に生まれ、必然として死ぬのである。

カウントダウンの人生観に切り替えると時間が愛おしくなる。日野原先生は命とは
時間のことと言ったが、全ての命が愛おしくなるのだ。すると生き方が変わる。
間違いなく変わると思う。これが今の生き方である。

生も死も特別なことではなく、あくまでも日常のことである。地球の年齢を
考えれば、人の人生など一瞬のイベントでしかない。執着から離れ、快
(自身の快と多くの人の快)を求めて、自然に生きたいと思う。

そんなことを考えながら、基本的にもう筋トレは行わないと決めた。
痛みなどをカラダが求めることはない。カラダがその運動をやりたくないと
言ったらその言い分を聞く。体の声を聞きながらそれに従い心身をコントロールする。

具体的には、もう一度好きだった武術に戻ろうと思う。
その身体操法は奥が深く、シニアに教えれば、膝痛、
腰痛をもコントロールができると思っている。長年取り
組んできた筋バランスアプローチも活用しながら
究極の自然体、そして、動ける体づくりを目指していく。

これは、私が目指す自身のリハビリであり、そのノウハウを
社会に還元することで物語は完結する。

原理の狭間(げんりのはざまで)というタイトルも、
遺書のようなスタイルも一つの考えから導いたもの。

余談だが、物語の進め方やストーリーは、宮崎駿と鈴木敏文プロデユーサー
のコンテンツ作り〈例えば10分のコンテンツを作り、次の展開を考え結論が
見えないまま進め、最後の最後でとなりのトトロのような作品が完成する)と
NHK大河ドラマ イダテンのように時間空間が激しく交錯するストーリー
展開も参照した。

2019年11月3日日曜日

原理の狭間で 那須物語1 *4ホテルエピナール那須 菅井慎三総料理長


2019年10月22日那須を目指し、高幡不動を発った。私の車を運転してくれたのは銀座でパーソナルジム経営の内藤隆、同乗者は元早大箱根駅伝トレーナーでカラダストレッチひばりヶ丘店長 稲垣翔太朗、そして*1「マリヤの風」の山崎りえ さん。りえさんは残したマリヤが気になっていて、大雨の様子を気にかけていた。私は今回も、直感で無事を確信していたがりえさんにとっては命より大事なマリヤを残したのだから、心配なのは当然だった。
このりえさんだけは、那須訪問の目的が違っていた。*2那須どうぶつ王国に行きたい気持ちで、胸を膨らませていた。
ホテルエピナール那須のフロントで、待っていたのは中村美江子さん(中村教授夫人)、乗馬が趣味の美江子さんとりえさんは初対面だが、一瞬で深い仲になったように見えた。りえさんの周りに現れる人は皆運命の人らしい。
エピの2階のレストランで那須の内弁当を堪能。5人で舌鼓をうった。異口同音で旨いと合唱。
早く行きたいと気がせいているりえさんを見て、どうぶつ王国へ向かうことにした。
到着。
受付で 「矢野です」。
どうぞ お進みください。
王国の入口で、
「矢野です」。
お話お聞きしています。
入口を抜け、事務所に案内される。
一番奥の部屋へ。
総支配人鈴木さん(スペクタクル鈴木)は他で用をしているという。
皆は立ったままそれぞれ部屋の写真を眺めた。
一枚の写真に目が止まった。
大勢の中で、満面笑顔の鈴木さんがいた。背景も美しい。
左に目を動かすと、固まってしまった。
天皇陛下だ。
皇后陛下も笑っている。
皇太子時代から,那須を愛するご一家をアテンドしてきたのはスペクタクル鈴木さん。
鈴木さんは、よく言っていた。
皇太子さまには独特のオーラがある。

どんな?

日本が国民が平和であってほしいと心から願っていることが、オーラとして見えると。
鈴木さんはそういう人。
青森県出身だが、那須で天空の大地に出会い、瞬間で、この地に生きると決めた人。この人も奇跡を呼ぶ人。

のび太に少しだけ似てるが、知的で愛情が深い。
ハートで行動する知行合一の人。行動力は半端ない。
毎年7月 那須で行われる自転車のライディングイベント 
那須ロングライド 全国から愛好者が集まり、あっという間に
ソルドアウト。
そして、設立されたのが那須ブラーゼンというプロライダーチーム。会社運営は苦労の連続だったが 栃木プロジェクトプロの*6高根沢武一さん、鈴木さん達が頑張り、困難をクリア。そしてそのドラマが、本当のドラマになった。
NHK栃木 瀬戸康史くんを主役においたドラマが完成。NHKBSプレミアムで放送された。再放送を含めると4-5回か。空中撮影は高根沢さんのドローン。
こんなことがあっという間に起こった。ここに至る経緯は詳しくは知らない。鈴木さんが動いたなと直感した。これも奇跡と感じた。
鈴木さんが現れた。久しぶりだ。
そして、王国を自ら案内してくれた。

喜んだのはりえさん。
ギャーギャーと五月蝿く、鈴木さんも爆笑。
りえさん、はしゃぎすぎ。
時間がなく、一部のみの見学だったが、
ハシビロコウとカワウソの可愛さに悲鳴を上げていた。
ホテルエピナール那須
鈴木さんにお礼を行って、エピに向かった。
そこには今回の目的、*3菅井総料理長をサポートするミッションが待っている。
待ってろよ、菅井さん!

(つづく)





*1マリアの風 https://www.mariyanokaze.com/