父は温厚な性格で声を荒げるようなことはなく、静かに説得力を持って喋るので、全く逆らうことはできず(というか逆らう気も起こらず)、本棚に埋め尽くされた漫画をすべて廃棄した。
振り返るとあれ程 夢中になったものをよくやめられたと不思議でならない。
小学2年生の時、手塚治虫のゼロマンを読み、夢中になっていった。ただ、今考えると、小学生で漫画をやめるような友人は誰ひとりいなかった。
大学生になっても社会人になっても漫画を読み続ける時代になることを、さらにはマンガがMANGAとなり世界に誇る日本文化として一大ビジネスにまで発展することを父も予測はできなかっただろう。
ところで手塚治虫が医師免許を持っていることを知る人は多いだろう。医師への道を捨て漫画家を志した人である。その手塚の作品に「永遠の命」をテーマに時間や空間を超えて展開する壮大なドラマ「火の鳥」という秀作がある。
見事なストーリー展開とワクワクが止まらない面白さには衝撃を受けた。また手塚作品には、時間を止めることができる主人公の物語「不思議な少年」もユニークな作品として記憶に残っている。
火の鳥は「永遠の時間」、不思議な少年は「一瞬の時間」どちらも時間がキーワードである。
人は誰も偶然に生まれて、必然として死んでいく。この限りある時間を生きていくのが人間。長短はあっても限られた時間を生きるのは皆同じである。
人生シーンの中には、時間が早く過ぎて欲しいと願うこともあれば、この幸福な時間がずっと続いて欲しいと思うこともあるだろう。ファンタジーではない現実の世界では時間をコントロールすることなど誰にもできない。
こうしている時間も確実に一秒一秒時が刻まれ、カウントダウンが続いている。そう考えると、時間との付き合い方はこの上なく重要であることに気づく。
105歳で亡くなった医師 日野原重明さんは、小学校で「命の授業」を行っていた。子どもの時はすべての時間を自分のためだけに使っている。
「大人になるということは大切な時間を人のために使うことなのですよ」。そして「命とは時間のことなのです」と訴えた。
限られた命とは、限られた時間のことである.「時間を大切に、すべての命を大切にしましょう」という荘厳なメッセージである。
今年もあっという間に師走。時の経過スピードは毎年加速度的に速くなっていることを自覚せずにはいられない。今年、あるいは今年を含めた今後数年は、失われた年、或いは失われた時代と呼ばれるのかも知れない。
年末は私の誕生日、年齢を指折り数えていた時代からカウントダウンで年(歳)を数えるようになった。地球にも年齢がある。人の命と比べるとその長さなどは瞬間といえる。
けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。 「命とは時間のことである」というこのメッセージは重い。暇つぶし=時間つぶし=命つぶし、と考えると 命である時間の概念を見直さざるを得ない。
けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。 「命とは時間のことである」というこのメッセージは重い。暇つぶし=時間つぶし=命つぶし、と考えると 命である時間の概念を見直さざるを得ない。
家から5分のところに1375年の歴史を持つ神社がある。例年末は24時間開放であるが、今年は早仕舞いした。
そして多くの人は、いつもとは違う不安と希望を抱えながら新年を迎えることになるのだろう。
あなたは残された命(時間)をどう使いますか?
(2015.12「時間よとまれ」改題&リライト。2020.12メルマガSwim Partner投稿)
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