2020年12月31日木曜日

命の時間

小学生の頃マンガに夢中になった。中学入学が近づいたとき、父に「ここに座れ」と呼ばれ、中学生で漫画を読むのはみっともないので、小学校卒業と同時にやめるように説得された。 
父は温厚な性格で声を荒げるようなことはなく、静かに説得力を持って喋るので、全く逆らうことはできず(というか逆らう気も起こらず)、本棚に埋め尽くされた漫画をすべて廃棄した。 振り返るとあれ程 夢中になったものをよくやめられたと不思議でならない。 

小学2年生の時、手塚治虫のゼロマンを読み、夢中になっていった。ただ、今考えると、小学生で漫画をやめるような友人は誰ひとりいなかった。 大学生になっても社会人になっても漫画を読み続ける時代になることを、さらにはマンガがMANGAとなり世界に誇る日本文化として一大ビジネスにまで発展することを父も予測はできなかっただろう。 

ところで手塚治虫が医師免許を持っていることを知る人は多いだろう。医師への道を捨て漫画家を志した人である。その手塚の作品に「永遠の命」をテーマに時間や空間を超えて展開する壮大なドラマ「火の鳥」という秀作がある。 見事なストーリー展開とワクワクが止まらない面白さには衝撃を受けた。また手塚作品には、時間を止めることができる主人公の物語「不思議な少年」もユニークな作品として記憶に残っている。 

火の鳥は「永遠の時間」、不思議な少年は「一瞬の時間」どちらも時間がキーワードである。 人は誰も偶然に生まれて、必然として死んでいく。この限りある時間を生きていくのが人間。長短はあっても限られた時間を生きるのは皆同じである。 
人生シーンの中には、時間が早く過ぎて欲しいと願うこともあれば、この幸福な時間がずっと続いて欲しいと思うこともあるだろう。ファンタジーではない現実の世界では時間をコントロールすることなど誰にもできない。

こうしている時間も確実に一秒一秒時が刻まれ、カウントダウンが続いている。そう考えると、時間との付き合い方はこの上なく重要であることに気づく。 

105歳で亡くなった医師 日野原重明さんは、小学校で「命の授業」を行っていた。子どもの時はすべての時間を自分のためだけに使っている。 「大人になるということは大切な時間を人のために使うことなのですよ」。そして「命とは時間のことなのです」と訴えた。

限られた命とは、限られた時間のことである.「時間を大切に、すべての命を大切にしましょう」という荘厳なメッセージである。 
 今年もあっという間に師走。時の経過スピードは毎年加速度的に速くなっていることを自覚せずにはいられない。今年、あるいは今年を含めた今後数年は、失われた年、或いは失われた時代と呼ばれるのかも知れない。 

年末は私の誕生日、年齢を指折り数えていた時代からカウントダウンで年(歳)を数えるようになった。地球にも年齢がある。人の命と比べるとその長さなどは瞬間といえる。

けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。 「命とは時間のことである」というこのメッセージは重い。暇つぶし=時間つぶし=命つぶし、と考えると 命である時間の概念を見直さざるを得ない。 

家から5分のところに1375年の歴史を持つ神社がある。例年末は24時間開放であるが、今年は早仕舞いした。
そして多くの人は、いつもとは違う不安と希望を抱えながら新年を迎えることになるのだろう。  

あなたは残された命(時間)をどう使いますか?

(2015.12「時間よとまれ」改題&リライト。2020.12メルマガSwim Partner投稿)

2020年12月12日土曜日

カラダの言い分

健康情報の氾濫は今に始まったことではない。書籍、新聞、TV、ラジオ、雑誌、インターネット、口コミ等々から一喜一憂する人は多いのだろう。また、健康づくりを目的とした運動に関する情報も世に溢れている。

ところで名医と称する医師が登場するTV番組などで、運動指導を披露するシーンをみかけることがある。しかし、これにはなからず違和感を覚える。

確かに医師で運動指導に優れている技術を持つ人がいるかもしれないが、極めて稀だろう。そのような医師がTVに出て指導する姿はみたことがない。運動実施時のリスクをアドバイスするならわかるが、医師が治療を担当するように、健康運動指導も運動指導者が行うのが自然だろう。

氾濫の中には役に立つ情報があるだろうが、運動理論に支配され過ぎると、カラダが発する声が聴こえづらくなる気がする。
例えば怪我をした時には患部を冷やし、72時間後は温めるという理屈がある。根拠に基づくものだろうがカラダはそれを望んでいないこともあるのだ

そんな時はカラダが発する声に従った方がいい。医者との付き合いをやめ、長年 カラダとの対話という方法で様々な持病と向き合ってきたことを、五木寛之が、その著書の中で告白してしている。理屈はさておき、その時冷やしたいのか 温めたいかをカラダに聴き、それに従う。その結果、病気知らずの体を維持しているという。

カラダの発する声に従う=心地よさを求めること。 と言い変えることができるだろう。痛いところに手を当てることで痛みは和らぐし、伸びをすることで心身がほぐれる。それぞれ、痛みから逃げたり、リラックスする方法だが、基本は、どちらもカラダが求めるに声に従がった自然な動作である。

ウォーキングは大きなストライドで速く歩くことが推奨されているが、私の場合、その歩き方では、心地よいと感じることができない。なので、快を感じる範囲で歩幅もスピードも調整するようにしている。

基本は風や気候を気持ちよく感じたり、景色を楽しめる範囲の中で行うようにしている。なぜなら、それを超えると不快だからだ。
しかし、十人十色。大股で速く歩く方法が快ならばそうすればいいし、走るのが快ならばそうすればいい。

体の言い分に耳を傾けて、それに従う。その言い分は、季節や体調でも違う。その時その時、現在只今の言い分に従うことが大切。
それが何より心地いいのだから。

★wellness for life いつまでも動けるカラダ
"心地よいは 健康づくりに有利"

2020年12月1日火曜日

下駄とタビと府中(ゲタ・ウォーク)

 1年前に府中に越してきた。

今春、雪駄を履いていたら「貴方もやっと府中の人になったね!」と声をかけられたことがあった。
今年の夏は下駄で過ごした。
秋になっても下駄がやめられなかった。11月に とある方から黒の雪駄とカッコイイ足袋を頂いた。足袋を履くのは二度目、一度目は多くの方が経験する式典。これは式の間だけの和装であるが、足袋で生活するのは初めての経験だ。

下駄に足袋。これが標準となってしまった。足袋がこれほど温かいとは知らなかった。空気の層をつくるからだろう。下駄生活も半年。様々な気づきがあった。

私の左足は痛みはあまりないのだが、外反拇趾気味で横アーチが潰れているためアーチの真ん中が靴底で擦れ 横1cm 縦1.5cmくらいの分厚い皮膚となり、かなり硬くなっていた。

 その硬くなった足裏の部分には違和感があり気になっていた。ところがある日その硬質部分を触ったら、半分ほどの薄さに変わっていた。柔らかな靴底ではアーチが潰れ、下駄履きでは、ささやかだがアーチが復活したのだ。これには驚いた。

 さらに下駄歩きだと一歩づつ 程よい着地衝撃があり脳天まで響くのだ。思い出したのが、骨粗鬆症対策として話題になった「かかと落とし」である。両足で立ち、かかとを高く上げて(ヒールレイズ)から一気にかかとを落下させ地面(床)と衝突させ骨を刺激するというもの。
その効果検証は知らないが TVで医師が解説しているシーンを観たことがある。下駄ウォークならそれすら必要ないだろう。
 師走に突入した。足袋と下駄で冬を越そうと思う。

2020年11月16日月曜日

ハイブリッド・アクアトレーナー


筋肉は関節を跨いで骨と骨をつないでおり、筋収縮により関節を支点に骨が動く。これが動作である。通常、左右動作、前後動作など日常動作には偏りがあるのが普通であり、体はその偏った使用状況に適応する。よく使う筋肉は強くなり、あまり使わない筋肉は弱化する。大なり小なり、「強い、弱い、硬い、柔らかい」といった筋肉が混在するが、その偏りに応じて、筋骨格系のアンバランスが形成される。

国民病である「腰痛、ひざ痛、肩こり」の多くにこの筋肉と骨格のアンバランスが影響している可能性が考えられる。中村好男早大教授がエッセイの中で「生活習慣・病」という言葉を用いている。習慣の後ろに「・」をつけたのだ。この「・」により見慣れた「生活習慣病」という文言への印象が大きく違ってくる。「生活習慣」と「病」がそれぞれクローズアップされ、目にした人に強く訴えかけてくるように感じる。

「生活習慣・病」の代表はガン、心臓疾患、脳血管障害であり、日本においては全死因の60%が、この病で亡くなっている。比較するのは気が引けるがコロナ死の1600人に対して生活習慣病死は年間約70万人(平成26年実績)である。

ある人は生活習慣病を「緩慢なる自殺行為」と称した。自殺という表現は言いすぎかもしれないが。無知であるが故の病であり、意識や知識、習慣を変えることで予防できるなら、水泳コーチなど運動インストラクターもライフスタイルアドバイザーとして仕事に向き合う側面を持つことにも意義があるだろう。

さらに整形外科的疾患の多くも日常生活習慣動作が影響している可能性がある。長年の動作習慣で筋骨格系にヒズミが生じることで、慢性的な痛みへと繋がることも考えられる。このような運動器のトラブルも「生活習慣・病」とらえることができるのではないだろうか。

このような「生活習慣・病」に対しては水中運動、水中アプローチの大いなる可能性を感じる。当然のこととして陸上で機能する体をつくるために陸上での専門的なアプローチも欠かせない。    水中と陸上という異なる環境のメリットを生かし(水陸で対応できる、あるいは水中と陸上を組み合わせた)指導技術を持つコーチ・インストラクター(ハイブリッド・アクアトレーナー)がフィットネスの世界で活躍する日が来ないものだろうか。


2020年9月23日水曜日

ミドルエイジからの健康塾2006 あとがき(抜粋) 

日本人の平均寿命が、世界一を更新している一方で、介護を必要とする高齢者の数が激増している。介護が必要となる理由は、いわゆる生活習慣病というよりも加齢に伴い活動量の低下した生活にカラダが適応することで虚弱化してしまうこと、言い換えれば生活不活発化による老化の進行であるとの認識の下、虚弱化したカラダ(筋肉)を鍛えることで、立つ、座る、歩くといった日常生活動作に不自由のない体作りを目指そうというが最近の高齢者の健康づくりのの基本的な考え方になってい動作性に優れたカラダづくりは高齢者ばかりではなく、全ての人に求められるものであり、カラダづくりの基本と言えます。アスリートにとってもパフォーマンスするためには重要な要素である。  

関節をまたいで筋肉が骨についており、筋肉を縮めることで動作が起こる。しっかりと動作を行うためには、適度な筋肉の強さを保持することが重要である。このことは、当然、筋肉を鍛えるという発想になる。しかし、私は、動作に影響を及ぼす筋肉のバランスを整えることが、より重要と考えている。



ヒトには右利き左利きが有り、よく使う筋肉は筋肉や強くなり、使わない筋肉は弱くなる。当然の結果として、強い弱い筋肉が体に混在することになり、右半身と左半身、カラダの前面と後面など互いに影響し合っている筋肉のアンバランスが生じ。動作にも影響を及ぼすことになる。誰もが大なり小なりこのようなアンバランスを抱えているのだ。

硬くなった筋肉が伸ばされる時にはブレーキがかかるために、違和感や動きづらさを感じる。場合によっては痛みを伴うことがあるかもしれない。動作を伴う違和感が有る時などには難しい理屈は考えないで、心地よさを感じながら動くことである。

きっとカラダは良い方向へ変化してくれるに違いない。カラダは快を求めているのだから。


 

2020年8月28日金曜日

イノベーション(Swim Partner掲載記事)

                
その時、観衆は妙なものを

目の当たりにしました。

何と一人の選手が、

両手を地面についたのです。

 これは、ある日の新聞広告。

インパクトのある秀作だ。

左から二番目の選手だけが、クラウチングスタートの構えをとり、
観衆は、その不思議な格好を奇異の目で眺めている。
舞台は1896年(明治29年)、第一回アテネオリンピック、男子100m
両手をついているのは優勝したトーマス・バーク(米国)。

1968年メキシコ五輪 男子走り高跳び。優勝したのは、かつて自分の身長さえ超せなかった
ディック・フォスベリー(米国)。
開発途中は嘲笑を受けながら、人類が目にしたことのない「背面跳び」を披露。
当時はフォスベリー跳びとも言われた。いまはハイジャンプの跳び方のスタンダードとなっている。

バタフライが平泳キックだった時代に、ドルフィンキックを考案。
世界記録をつくった競泳の長沢二郎(早大)。
怪我の功名でもあったが、イノベーションは突然降ってくる。

常識を覆す発想で、新しい価値を創り出す。
イノベーター達が開発した技術はいずれも、未来の当たり前へとつながっていく。

コロナ禍はあらゆるものを飲み込み、文化も、ビジネスもうねりの中に巻き込まれていった。
フィットネスクラブの利用者数は半減、スイミングは3割源と聞く。
今だからこそ、誰もが考えなかった新しい発想による取り組みが求められる。
ベビーブームに乗り黙っていても3千人の会員が集まった時代を経験した多くのクラブは
どうしても保守的な思考に陥りがち。誰かに何かをしてもらうのではなく、自らが
考え、知恵を出して命懸けで取り組む姿勢からイノベーションが現れるはず。
それが変化への対応であり、成し遂げたものが生き残るのというのが進化論である。
突然降ってくるからと待っていては何も起こらない。情報、思考、人的交流
勉強・学習など急務ではないが重要なことを 地道に続けるなどの準備があってこそ
降りてくるものである。
それぞれ(個人も法人も)の準備状況はいかに。

写真:2018年7月24日 朝日新聞 大日本印刷の広告

2020年6月17日水曜日

やっきょう

なかなかの優れもの
東京駅で発見
とにかく手触りがいい
書きやすい
ステキな店員さんが別色を見せてくれた
何と金色!
まるで やっきょう
と呟くと
らっきょ?と返ってきたので
吹き出した!
そう やっきょう を知らない世代なのだ
可愛い らっきょさん
貴方との3分はこの上なく楽しかったですよ
波長が良かったのか
兎に角笑った
帰り道でも
翌日も
やっきょう と らっきょ
確かに 聴き分けは困難ですね
ステキな笑顔のらっききょ さん
目があった瞬間から
笑顔と可愛いボケ(失礼)に撃沈
このペンは恐らく
幸運をもたらすペンに違いない!

2020年6月16日火曜日

yメソッド セミナー

第3回 yメソッド体験セミナー
1分で身体を整える技術をご紹介します。
主催:waseda wellness institute inc.
対象:トレーナー、教員、治療家など
体験セミナー&テクニカルセミナー日程
①7月5日(日)10:00ー11:30
②7月12日(日)
③7月19日(日)
定員8名
*各回終了後参加者と昼食。
*参加費:各回5,500円(税込)
技術習得(5時間テクニカルセミナー)
①7月5日(日)13:00ー18:00
②7月12日(日)
③7月19日(日)
定員4名
*参加費:全3回15時間 220,000円(税込)
テクニカルセミナー参加者は午前中の全日程に参加が可能です。
また、継続してテクニカルサポートをする仕組みがありますので
当日ご説明します。
会場:ライオンズステージ府中シティタワー2Fスタジオ(京王線府中駅 歩4分)  
*各回終了後参加者と夕食。毎回夕食&飲みに発展し、情報交換屋ネットワーク構築が盛んに行われています。
*ゲスト:?(後ほど)
お申し込み、問い合わせはMessengerからお願いします。
振込先等をご案内します。体験セミナーとテクニカルセミナーのどちらに参加するのかご明示ください。
*動きやすい服装でご参加ください。室内シューズは不要です。

2020年5月17日日曜日

原理の狭間で 4

5月に赴任した仙台で初めての所長。2年間勤務。千葉すずさんが4歳で幼児クラスに入会したのもこの頃。初めての東北暮らしだが、1年目の冬に選手クラスをつくった。選手は2年生から6年生までの10数人。2年目の春に仙台SS、インターナショナル仙台、SF仙台の3校で、持ち回りのC級大会を開催。この大会が選手たちのデビューとなった。

初めての遠征試合は東北室内選手権。会場は秋田AC。この会場クラブにすごい選手がいた。当時小学5年生だった長崎宏子さんだ。ずば抜けた泳力は正に怪物。目の前で見た泳ぎには、度肝を抜かれた。彼女はそのままの勢いで日本選手権で優勝し、小学生で幻のモスクワ五輪代表となった。

さて、コーチ陣は新卒の現地採用者組を中心に東京採用組が加わった、当初、東京組と現地組とのささやかな対立もあったが、まもなく解消した。新米所長だったが、営業所としての、まとまりは良かった。当時、営業所は関東に固まっており、遠隔地は京都と仙台のみ。
このことも、スタッフのまとまりに繋がったかも知れない。営業所にはギターをおいてあり、深夜まで皆で歌うこともしばしば。私を含め全員が20代の職場、エネルギーが溢れていた。一度だけ熱を出し病欠したが、数名のスタッフが料理を作りに来てくれたことがあった。また、コーチたちが部屋に遊びに来て、部屋から出たと思ったら玄関で靴墨を顔に塗り、黒人顔で戻り驚いたことも。歌うはシャネルズのランナウェイ。

新卒1年目のkさんと(のちにTさん)
集客も安定していて、充実した毎日が続いた。2年目の冬から朝練も始めた。雪の中、早朝に自転車でプール出勤。意欲に燃えていたので、最初は冬の厳しさも気にならなかった。しかし甘かった。
1年目は暖冬だったが2年目は違った。自身の部屋に、暖房はストーブもエアコンもなくコタツのみ。寝るときは寒さで顔が痛いので、目出し帽をかぶって寝ていた。

そして、忘れもしない12月23日。「明日はホワイトクリスマスになればいいなー」などと呑気なことを言っていたら、本当にそうなった。「ヤッター」と思ったのは一瞬。希に見る豪雪となり、悲劇が始まった。電線が雪の重みで断線。鉄塔が倒れるなどの雪害が起こった。営業所では雪解け水が半地下だった機械室に流れ込み、ボイラー類が水没した。停電が続き、水を組み上げるポンプが作動しないためだ。バケツリレーで汲み出しを試みたが焼け石に水。あっという間に機械室はプールと化した。

暖房が効かない、昇音できない、シャワーが出ない。クラブは運営できず、休業を強いられた。勿論、年内は営業できす、年明けしてもしばらくは開業できなかった。心身ともに疲労困憊。冬が越せるのかとも思った。

そんなタイミングで、本社から1本の電話が入った。
「大宮に2ヶ月出張!」の命令。
営業所や選手が気がかりだったが、命令は絶対。自宅の東伏見に戻り大宮通いが始まった。そこは大型体育館も有する総合スポーツクラブ、経営者とコーチ陣の対立で、経営危機に陥りSOS。立て直しの契約を交わした本社が、私を送り込んだという経緯。

単身で乗り込み、コーチ室に通った。コーチたちからは白い目で見られたが、対立することは避け、柔和に接した。これまで身につけた運営ノウハウを粛々と実行。監視(安全管理)の重要性を伝えるため監視台に6時間乗り続けたこともあった。頭がクラクラしたが本気度を見せること。指導力を観察し問題点をチェックすることが狙いだった。そんな姿勢が奏功したのか、コーチたちとも徐々に仲良くなっていき、言うことを聞いてくれるようになった。

ヘッドコーチIさんの専門は体操で、体育館で鉄棒の指導している時に、飛び入りさせてもらった。鉄棒に触るのは10年ぶりだが、筋力は当時よりも強くなっていて体は軽かった。逆手振り出しから逆車輪を披露したときは驚かれたが、彼との距離がグーンと縮まったことは幸いだった。

夜の帰宅では社長のベンツで送ってもらい報連相。労使関係の緊張もピークアウトし
何とか無事に任務を終えた。仙台へ戻ろうと準備をしていたところ、そのまま相模原営業所に転勤せよと命令が出た。
その年の4月から、所長として2店目の地へ行くことなる。実は入社後、初めての赴任が新店舗だった相模原。その時の所長がOさんで、52年11月にオープンし翌年の春には10歳以下女子200m自由形でJOチャンピオンを輩出するなど指導力に定評があった。(当時は10歳以下で200m自由形種目が残存していた)

Oさんは指導部長になっていて全営業所を統括していた。本来は本社常勤のところだが、相模原営業所を拠点にしており、選手クラスだけは相模原で指導していた。朝練が終わると愛車で全国を飛び回り、夜の練習に戻ってくるというパターンだった。その営業所の所長が私で、選手クラスでは、部長のOさんと担当することになった。
それは正に激務の2年間だった。



2020年4月29日水曜日

那須物語 ~なぜ那須で活動が始まったのか~

2008年の秋、リゾートホテル ホテルエピナール那須にジムをつくることになったので、システムやマシン選定などのアドバイスをして欲しいという連絡があった。

「ホテルにジムがないなんて、どういうことだ!」という新たなホテルオーナー(米国の金融機関)の一声で、経営幹部が動いたのだ。

すぐに栃木県の北端 那須町にあるホテルを訪問。ジム設置場所に案内され、卓球ルームだったスペースにマシンを設置したい意向を聞かされた。内心「この小さなスペースにジムをつくって利用者にどんなメリットがあるのだろうか?」と瞬時に頭をよぎった。

ホテルの最上階にあるフレンチレストランで、S支配人とYシニアマネジャーとコース料理を味わいながら話した。
「日本ではホテル宿泊者がジムを利用するケースは少ない。他のホテルにはない新たなサービスを提供してはどうですか?」


「どういうことでしょうか?」

「カラダに関するすべての相談に対応する仕組みをつくるというのはどうでしょう」

「例えば?」

「例えば、ゴルフの飛距離を伸ばしたい、健康的に痩せるコツを知りたい、腰・ひざ・肩
の慢性痛を何とかしたい、立つ、座る、歩く、走る、体を曲げる・伸ばす・ひねる・持つ
などの日常動作のコツを知りたい、スポーツパフォーマンスを上げたいなどの要望に全て応える仕組み。あえて言えばカラダ再生をリゾートホテルでやるのです」

などの話をしながら肩こりを30秒で解消する技など、的確な刺激でヒトの体は大きく反応することを体験を交えながら説明をした。特にいくつかのアプローチを体験されたお二人の驚きの表情が今も記憶に新しい。

このような経緯で2009年2月より、2週間に1回、日・月で一泊しプログラムを提供することになった。名づけて「ボディバランスインプルーブメント」
当時のニュースリーリースがこれ。
https://www.dreamnews.jp/press/0000005002/

当初は、「体のバランスを整える」をメインテーマに行ったが、徐々に間口を広げて、
運動禁忌がない限り、あらゆる要望に対応スタイルに変えていった。

これが那須での活動の始まりである。

2020年4月27日月曜日

waseda wellness institute inc.設立

2020年1月10日 waseda wellness institute inc.を設立した。
設立について中村先生(早大スポーツ科学学術院 教授)に、相談の電話を入れたところ、「新会社をつくろうと思うんですが・・」「いいですね!」恒例のやりとりパターンで設立があっという間に決定。さらに取締役就任も快諾をいただいた。

(定款から主な内容を抜粋)
・スポーツクラブの経営コンサルタント
・健康体力づくりメソッド・システムの開発、販売
・スポーツクラブ等の専門スタッフ教育
・健康体力づくり関連書籍、DVDの制作・販売
・健康寿命延伸プラン研究・販売
・健康寿命延伸事業の展開及び行政サポート
・健康運動指導者・トレーナーの教育
・トップアスリートのパフォーマンス向上メソッド開発・販売
・健康体力づくりに関する講演・演者の派遣etc

ところで、設立の経緯を簡単に記しておこう。
早稲田大学エルダリーヘルス研究所の活動実践組織として、2015年からwasedaウェルネスネットワーク(WWN)の活動が始まった。因みにWWNのコンセプトには、

この研究会は早稲田大学大学院健康スポーツマネジメントコースに係る教員及び研究者、ならびにそれらの関係者等により開発した多様な健康メソッドを「実践」「普及」を通して幸福な生活の実現に資することを目的としています。
(WWNホームページより」

と紹介があり、同研究会会長の中村好男教授の挨拶文には



私たちは、「動ける身体が未来を支える」と考えています。
強くなくても良いのです。痛みがあっても「いつまでも動ける身体」であることは可能です。Wasedaウェルネスネットワークは、“健康づくり”を通じて皆様の幸せなシニアライフの実現を目指します。」とある。

新会社waseda wellness institute inc.(WWI)は、wasedaウェルネスネットワーク(WWN)とその理念を共有しながら、組織の特徴を生かし素早い対応と展開の広がりを視野に入れて活動します。https://wasedawellness.com/index.php

相談・お問い合わせは yanofumiya88∞gmail.com まで。∞に@を差し替えてアドレスとしてご使用ください。

*12月に現在の府中市に転居しました。その後インターネット環境のトラブルがあり
スマホとipadのみの通信環境に甘んじていました。というかこれで十分という気持ちもあり、環境構築をあと後回しにしていたのですが、コロナ禍の現況で大学のオンラインゼミやオンライン授業準備を前にのんびり構えていられなくなり、昨夜 ネット環境セット完了しました。この影響で、しばらく休筆したブログ(コラム)も再開します。