つい最近、シャツ一枚の私の写真を見た姉から「痩せたね」 と一言。その時の体重は67kgほどで、その自覚はなかったが、 改めて写真を凝視した。 胴体部分も腕も細く貧弱で痩せて見えることに気づいた。
いや、もともと気づいてはいた。原因は廃用性萎縮。 筋肉が落ちたからである。もちろん、その自覚はある。
19歳のとき、 取り組んでいたスポーツと並行して筋トレを始めた。 激務の時代は週一トレーニングを余儀なくされたが、 それでもベンチプレスでは100kgを楽に上げていた。
因みにベンチのベストは120kg。 スクワットのベストはわからないが、 いつも150kgが最終セットだった。
その時の体重は65kgで少し細かった。 体重の2倍のベンチプレスを目指したが、 そこ迄の素質がないことに気づいた。。チンニングバー(鉄棒) にぶらさがれば、 懸垂の延長のように、そのまま腰まで体を上げる動作を、楽に10回はできた。 もちろん反動は使わない。
しかし、後に、ミスター日本を獲得し、 アジアでも優勝したAさん(同じジムで自宅も近かった)を、 見ていて、まるで自分とは素質が違うことを、痛いほど知らされた。。
当時Aさんは、パワーリフターで、 すごいパフォーマンスを見せていた。 スクワットラックでは涼しい顔で100kgのショルダープレス。 ベンチは170kgくらいを上げていた。 スクワットは200kg超。しかも全て、フルレンジで完璧、 キレイなストリクトスタイルである。懸垂は片腕で軽々行い。 75kg級の体重でも100m 12秒。ジムの硬い床でバク宙。 柔道は有段者で某組織の大会で優勝。卓球も上手い。 その上努力家で知的、人間性も素晴らしかった。
二人でポーズをとっている写真が手元に数枚あるが、 デフィニションもいい。ここで紹介したいと思うが、 残念ながら無断掲載はできない。
今では筋トレ愛好者は格段に増え、 凄いレーニーも多くなっていると思うが、 当時はAさんのような人は極めて稀であった。
話を戻そう。
この業界の仕事は水泳コーチから始まった。そして、会社のフィットネス1号店出店が決まり、 出店計画から現場の責任者までを担当することになり、 フィットネスが自分の仕事の領域に加わったのである。この時30歳。
これで自分の時代が来た!
と心の中で快哉を叫んだ。
誤解ないように説明するが、水泳は大好きである。競泳指導にも、 のめり込んでいた。 2年ごとの転勤で実績を出すのは容易ではなかったが、 それでもJOで、10歳男子の教え子は、 日本で初めて50m自由形で30秒を切ったし、 JOに出た女子スイマー達も強かった。ただ、 JOの10歳以下では、単独種目は50mのみで距離が短く( 200m個人メドレーはあったが)、 彼女たちの力を発揮するにはレース距離が短すぎた。なので、 東スイ招待ではみんな面白いくらいに暴れてくれた。
このスーパーキッズ達と過ごす時間は貴重で、 激務に挫けそうになるときに支えてくれた。彼らがいる間は、 自分からは絶対辞めない。そう心に誓っていた。
転勤命令は天の声、逆らう行動は一切しなかった。残念でならなかったが、顔には出さなかった。
泣いてくれる子もいて、後ろ髪を引れたが、気持ちを切り替え新天地に向かった。
トレーニングは趣味であり。最終的には40年以上続いた。それでも命令がなければ、自らは手を上げなかったかもしれない ということは添えておきたい。
キーワード:廃用性萎縮
キーワード:廃用性萎縮
つづく
すごくバランスよく鍛え上げられていますね。憧れます。白黒写真が時代を感じさせますが(笑)
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