2019年9月29日日曜日

原理の狭間で 1

つい最近、シャツ一枚の私の写真を見た姉から「痩せたね」と一言。その時の体重は67kgほどで、その自覚はなかったが、改めて写真を凝視した。胴体部分も腕も細く貧弱で痩せて見えることに気づいた。
いや、もともと気づいてはいた。原因は廃用性萎縮。筋肉が落ちたからである。もちろん、その自覚はある。
筋トレを止めたのだから。当然、筋肉は落ちる。

19歳のとき、取り組んでいたスポーツと並行して筋トレを始めた。激務の時代は週一トレーニングを余儀なくされたが、それでもベンチプレスでは100kgを楽に上げていた。
因みにベンチのベストは120kg。スクワットのベストはわからないが、いつも150kgが最終セットだった。

その時の体重は65kgで少し細かった。体重の2倍のベンチプレスを目指したが、そこ迄の素質がないことに気づいた。。チンニングバー(鉄棒)にぶらさがれば、懸垂の延長のように、そのまま腰まで体を上げる動作を、楽に10回はできた。もちろん反動は使わない。

しかし、後に、ミスター日本を獲得し、アジアでも優勝したAさん(同じジムで自宅も近かった)を、見ていて、まるで自分とは素質が違うことを、痛いほど知らされた。。
当時Aさんは、パワーリフターで、すごいパフォーマンスを見せていた。スクワットラックでは涼しい顔で100kgのショルダープレス。ベンチは170kgくらいを上げていた。スクワットは200kg超。しかも全て、フルレンジで完璧、キレイなストリクトスタイルである。懸垂は片腕で軽々行い。75kg級の体重でも100m 12秒。ジムの硬い床でバク宙。柔道は有段者で某組織の大会で優勝。卓球も上手い。その上努力家で知的、人間性も素晴らしかった。
少し線が細かった20代。
隠れているが、左にポーズを取る
Aさんがいる 
二人でポーズをとっている写真が手元に数枚あるが、デフィニションもいい。ここで紹介したいと思うが、残念ながら無断掲載はできない。
今では筋トレ愛好者は格段に増え、凄いレーニーも多くなっていると思うが、当時はAさんのような人は極めて稀であった。

話を戻そう。
この業界の仕事は水泳コーチから始まった。そして、会社のフィットネス1号店出店が決まり、出店計画から現場の責任者までを担当することになり、フィットネスが自分の仕事の領域に加わったのである。この時30歳。

    これで自分の時代が来た!
    と心の中で快哉を叫んだ。

誤解ないように説明するが、水泳は大好きである。競泳指導にも、のめり込んでいた。2年ごとの転勤で実績を出すのは容易ではなかったが、それでもJOで、10歳男子の教え子は、日本で初めて50m自由形で30秒を切ったし、JOに出た女子スイマー達も強かった。ただ、JOの10歳以下では、単独種目は50mのみで距離が短く(200m個人メドレーはあったが)、彼女たちの力を発揮するにはレース距離が短すぎた。なので、東スイ招待ではみんな面白いくらいに暴れてくれた。
このスーパーキッズ達と過ごす時間は貴重で、激務に挫けそうになるときに支えてくれた。彼らがいる間は、自分からは絶対辞めない。そう心に誓っていた。

転勤命令は天の声、逆らう行動は一切しなかった。残念でならなかったが、顔には出さなかった。
泣いてくれる子もいて、後ろ髪を引れたが、気持ちを切り替え新天地に向かった。
トレーニングは趣味であり。最終的には40年以上続いた。それでも命令がなければ、自らは手を上げなかったかもしれない ということは添えておきたい。

キーワード:廃用性萎縮

つづく

1 件のコメント:

  1. すごくバランスよく鍛え上げられていますね。憧れます。白黒写真が時代を感じさせますが(笑)

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