2019年11月7日木曜日

カラダづくりって、一体何だろう?  原理の狭間で 


40年間体を鍛えてきた。

筋トレ  ベンチ120kg スクワット150kg
大学体育会体操部から少林寺拳法(三段 )
ランニングでは(日野走友会)に所属。
水泳では 関東マスターズ31+で新記録優勝などの歴。

2015に入院手術 前後2ヶ月もトレーニングを休んだのは人生初だった。その後3年間、
心身共に疲弊し療養生活を強いられた。
だが、 この3年間は苦しみもあったが、実は2年半くらい、は楽しみを見つけて
過ごしていた。考え事をするには絶好の機会で、人生設計を再考するには最高の時間
だったかもしれない。
これまで長い間、原理原則に従って、トレーニングを続けてきた。
それなりに体型は変化し、現在進行形で鍛えているという
セルフイメージは心地良いものだったし、それが自信にも
つながっていた。

同時に無理もしていた。つり輪で痛めた肘を治さず、
トレーニングに入っていったことにも無理があった。背中を痛めた
こともある。これはベンチプレスで見てもわからないくらいの
微小な回旋動作が癖になっていたこと関係している。
漸進性過負荷の原理に従い進めることは正しいが、年齢の壁もあり
無理を強いれば怪我につながる。廃用性萎縮を恐れ、とにかく
ノルマをこなしていった。その結果は満身創痍だった。
ランニングクラブは膝痛で辞めた。

しかし、3年間のトレーニング休止の結果は酷いものだった。体型の変化はもちろんのこと、
筋力、持久力、柔軟性などの体力要素がすべて低下。そして何よりも、気力が低下し行動力が
著しく鈍った。これを、どのように回復させるかは闇の中で、その方法論簡単には見つける
ことができなかった。

悶々とする中、今年4月ペンの虫が動き始めた。もともと書くことは趣味。共著1冊、単著3冊、
共同執筆2冊、その間に12年間,一部上場 日機装㈱の社内報で健康コラム担当、クラブパートナー
にナレッジノートを6年連載、介護事業者の8割読むというお化け雑誌「月間DAY」に 身体認知
による 動きのバランス回復法 巻頭12ページ執筆などを担当。

学生時代朝日新聞のデスクだった父から「お前は俺より文書が
上手い」と言われたのがきっかけで 書き始めた。そして本を
読みまくった。 純文学、 エッセイ、SF、推理小説、サスペンス、
詩、短歌などを雜読。前職では社内報巻頭記事、会報の編集と記事
執筆、役員のGライター、外部へのインフォメーションニュース
レター執筆編集、指導マニュアル、運動生理学ノートなど、ここでも
よく書いた。

ところで、母親は6冊の著書を残した。どれも売れた競合がなく
独壇場だったから。版を重ね数10版も珍しくなっかった。
一主婦であるにも関わらず、よく頑張ったと思うが、
実は母の本は読んだことがない 。そもそもその中身には興味がない。
遺物としてはいいが、そもそもコンテンツに興味がないのだ。やはり自分の家族が興味を持って
読んでくれるものを書きたい。この気持ちが、ブログ再スタートのきっかけにもなった。


そしてこのブログを遺書のように書こうと決めた。2019年4月緩やかに書き始め、
8月の「イノベーション」からスイッチが入った。遺書ならば娘達も興味深く読んでくれる
に違いない。これが正直なところであった。母は死んで著作を遺したが、PCのない時代に
活動したのにも関わらず、母の名前を検索すると当時の母の活動の様子を窺い知ることが
出来た。これには夢中になった。亡くなった当時はネット情報を貪り読んだ。
生き様を残すこと。遺族にとって、これほど面白いものはない。

別に、今のところ死ぬ予定はない。しかし 誰もが死ぬという現実がある一方で、
多くの人は永遠の命を持っているように生きているように思えてならない。私は、
78歳が最期と取り敢えず決めた。これは母の命日であり、私の誕生日でもある。

私は未だに父母の誕生日さえ知らない。けれど母の命日は忘れられない。
私の誕生日に逝ったこと。ここにメッセージ性を強く感じざるを得ない。
その他にも色々あるのだが、ともかく78歳が最期の年と決めた。

前倒しもあれば延長もあるかもしれない。だけどそれはどうでもいいこと。
カウントダウンしながら生きることに意味がある。あと3日しか生きられなかったら
1日目は何をする?、2日目は?、最後の言葉は?と畳み掛けると多くの人は
充実した3日間を過ごしたいと願っていることがわかる。

なのになぜ、永遠の命があるように生きているのだろうか。それではNHKの
チコちゃんも怒るかもしれない。人は偶然に生まれ、必然として死ぬのである。

カウントダウンの人生観に切り替えると時間が愛おしくなる。日野原先生は命とは
時間のことと言ったが、全ての命が愛おしくなるのだ。すると生き方が変わる。
間違いなく変わると思う。これが今の生き方である。

生も死も特別なことではなく、あくまでも日常のことである。地球の年齢を
考えれば、人の人生など一瞬のイベントでしかない。執着から離れ、快
(自身の快と多くの人の快)を求めて、自然に生きたいと思う。

そんなことを考えながら、基本的にもう筋トレは行わないと決めた。
痛みなどをカラダが求めることはない。カラダがその運動をやりたくないと
言ったらその言い分を聞く。体の声を聞きながらそれに従い心身をコントロールする。

具体的には、もう一度好きだった武術に戻ろうと思う。
その身体操法は奥が深く、シニアに教えれば、膝痛、
腰痛をもコントロールができると思っている。長年取り
組んできた筋バランスアプローチも活用しながら
究極の自然体、そして、動ける体づくりを目指していく。

これは、私が目指す自身のリハビリであり、そのノウハウを
社会に還元することで物語は完結する。

原理の狭間(げんりのはざまで)というタイトルも、
遺書のようなスタイルも一つの考えから導いたもの。

余談だが、物語の進め方やストーリーは、宮崎駿と鈴木敏文プロデユーサー
のコンテンツ作り〈例えば10分のコンテンツを作り、次の展開を考え結論が
見えないまま進め、最後の最後でとなりのトトロのような作品が完成する)と
NHK大河ドラマ イダテンのように時間空間が激しく交錯するストーリー
展開も参照した。

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